べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

朝の体操


 朝、たまに体操をする。
 体操といってもそれほどきちんと体を動かすわけではなく、腕をぐるぐる回したり、屈伸したり前屈したりするだけのことである。
 それに、毎日するというわけでもない。
 気が向いたときに、たまにである。
 毎日すると決めずに、たまにする、というところで立ち止まる辺りに、ぐうたらな私の微妙な心理作用が見え隠れする。
「毎日行う」と決めてしまうということは、自分で自分に誓いを立てるということである。
 つまり約束だ。
 自分で約束しておきながら、雨が降っているから、とか、体調が優れないから、などといった理由でその約束を破ってしまったとき、そもそも屋内で行うから雨は関係ないし、体調が優れないときのほとんどの原因は宿酔いなのであるが、ぐうたらな私の気持ちは「まあ今日はいいか。明日からまた心を入れ替えて頑張ろう」という風にはならない。そうはならずに、「ああもう、理由にならないような理由で、約束を破ってしまった。私はダメなやつだ。だが、明日から再開して、またサボったら、私は自分のダメさ加減をそこで再確認してしまうだろう。そんな辛い目に遭うぐらいないら、もういっそやめてしまおう」という具合になる。
 ぐうたらというより、もはや腑抜けである。
 しかし、私はそういう腑抜けな自分を知っているが故に、あえて「毎日行う」という約束を己れに課さないのである。
 約束というプレッシャーに圧し潰されることが分かっているのなら、最初から約束などせねばよいのだ。えっへん。何かとても情けないことで威張っているような気がするが、おそらく気のせいである。

 とまれ、たまに行う体操の話である。
 先日、いつものように寝起きのぼうっとした頭でだらだらと体を動かしていたとき、ふとあることに気が付いた。
 それは「何故体操は十六進法なのだろうか」ということである。
 体操は大抵、「イチ、ニィ、サン、シィ、ゴ、ロク、シチ、ハチ」「ニィ、ニィ、サン、シィ、ゴ、ロク、シチ、ハチ」と八回をワンセットとしてそれを二回行って一区切りである。つまり、8×2=16。十六進法である。風呂での九九暗唱の訓練が、まさしく生かされているのである。(拙ブログ「長風呂化プロジェクト」参照)
 何故だろう、何故十進法ではなく十六進法なのだろう、と回っていない頭で考えて、閃いた。
 おそらくそれは、ラジオ体操に原因がある。
 夏休みの早朝に町内会の子どもがみな集まってやる、ラジオから流れてくる音楽に合わせて体を動かす、あの体操である。もうイヤでイヤで仕方がなかった、あれだ。
 あのラジオ体操の「音楽に合わせる」という要素が深く関わっているのではないかと思ったのだ。
 ラジオ体操で流れる音楽は、四分の四拍子で作られている。四分の四拍子というのは、音楽にとって基本となる拍子の取り方で、一小節の間に四分音符が四つ入るという構成のものを指す。
 そして多くの場合、その小節は四節が最小のひと区切りとなるよう作られる。
 四拍子×四小節=十六拍。つまり、十六進法なのである。ここでも訓練の成果が。素晴らしい。
 つまり、我々が体操をするときに無意識に十六進法を刻んでしまうのは、音楽に合わせるというラジオ体操の癖が、体に染み着いてしまっているからなのだ。
 って、そんな大層な発見でもない。
 そもそも、四分の四拍子などという面倒な説明をしなくても、ラジオ体操のときの、あの妙にはつらつと数を数えるおじさんの声を思い出すだけで用は足りる。要はあれである。
 あれが染み着いちゃってんだろうな、というのが、私の勝手な結論なのである。
 もちろん、私が勝手にそう思っただけで、事実は違うかも知れない。
 実は、GHQが仕組んだ戦後教育の一環で、そのリズムには恐ろしい謎が隠されているのだ、とか、ムー大陸から伝承された秘密が隠されているのだ、とか、そういうことがあるのかも知れないが、私は知らない。

 ということで、音楽に合わせていないときの体操は、十六進法でなくてもよいのではないか、と思った私は、そこでためしに、十進法で体を動かしてみた。「イチ、ニィ、サン、シィ、ゴ」「ニィ、ニィ、サン、シィ、ゴ」のリズムである。
 しかし実際にやってみると、これがものすごく気持ち悪い。ものすごく違和感がある。
 何か、もう一段あると思っていた階段が実はなく、思い切り踏み外してしまったような感じ。
 そしてつんのめって、前を歩くおばさんの広い背中に頭突きをかまして、ばいんと跳ね返って尻餅を突き、何で前に倒れそうになったのに後ろに倒れているんだ、と思った瞬間おばさんに猛烈に怒られる感じ。ってどんな感じだ。そんなことが昔あったのを思い出しただけである。

 よければ、みなさまも十進法で体操していただきたい。
 そして、何とも言えない居心地の悪さを是非味わっていただきたい。