べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

水が怖い

 水が怖いのである。
 といっても、蛇口から出る水や、浴槽の水ならどうということもないし、25mのプールくらいならまだ大丈夫なのだが、溜め池ほどの大きさになるともうダメである。
 車で走行中、カーブの先で突然溜め池が現れたときなどは、「ふあっ!」と声が出るときがある。
 明石海峡大橋や瀬戸大橋を渡るとなるとまさに地獄である。走行中ずっと「ひゃあひゃあ」と声を上げてしまう。怖くて黙ってはいられないのである。
 それに、そういった橋では左側の走行車線を走れない。ずっと右の追い越し車線を走っている。
 少しでも水を視界に入れないようにしたいのだ。
 四国で出会った沈下橋も恐怖だった。沈下橋とは、川の水面ぎりぎりの高さに作られた橋のことである。
 つまり、道路の端がすぐ水なのだ。我ながらよく渡ったものである。もちろんこのときも「ひゃあひゃあ」言って同乗していた友人をうんざりさせた。本当に怖かった。今思い出しても震えがくる。二度とごめんである。

 海水浴にもほとんど行ったことがない。行ったところで、海の家から一歩も出ずビールを飲む。ひたすら飲む。あれはあれでうまい。夏の海はビールである。冬の屋内でもビールだが。お陰で腹が全然引っ込まない。誰かどうにかしてください。ほんとよろしくお願いします。
 なんの話だったか、そう、水が怖いという話である。

 海といえば、幼い頃から見てきた海は全部瀬戸内海だった。瀬戸内海はあちこちに島が点在し、舟が行き交い、人間の生活の息遣いが漂う海である。そういう海を見慣れていたため、初めて日本海を見たときは愕然とした。島がひとつもなく、舟が一艘も走っておらず、波は高く、色は濃く、ただただ、ひたすらずどーんと海なのである。その茫洋とした広大さ、想像の付かない果てしなさに、わけもなく途方に暮れて、言い知れない不安に襲われた。

 かように私は水が怖いのだが、あるとき、ひょんなことから知り合いになった占い師に、四柱推命で自分の運勢を見てもらったところ、驚くべきことを言われた。
 四柱推命では、人間には木火土金水という五つの性質が備わっているといい、その五つのバランスでその人の運勢がある程度判別できるらしい。
正五角形の頂点に木、火、土、金、水をそれぞれ置き、占ってもらう人の生年月日や生まれた時間、名前の画数などから導き出した値をひとつひとつ当てはめて、いわゆる、レーダーチャートと呼ばれるグラフを作る。
 このとき、チャートの形が正五角形に近ければ近いほどバランスがいいということになるのだが、なかなかそんな人はおらず、だいだいみなどこかしら飛び出したりへこんだりして偏っている。その偏った形がその人の性質を表すのである。
私もそうやって見てもらったのであるが、私はなんと、木火土金水のうちの水の値だけがずどーんと値が高く、他の四つの性質はほとんど持っていないという結果になったのだ。
そのチャートを見た占い師が「計算を間違えたかな?」とか「パソコンが壊れたかな?」(今の時代、占いもパソコンでできるのである。なんか興ざめである)と首を傾げながら、何度もやり直したのだが、結果は常に同じだった。
私はどうやら、水の性質だけを通常の5~10倍ほど持っているという特異な人間であるらしい。
「珍しい珍しい」と占い師も連呼していたので、よほど珍しいのだろうと思う。
とにかく水の性質だけをずば抜けて持っているため、偏りも甚だしく、それが原因でさまざまなトラブルにも見舞われるだろうという。
「なるほど、じゃあオレは、前世ではそっち系の妖怪だったのかも知れませんね」と冗談をいうと、占い師は神妙な顔をして頷いた。
 誰がそっち系の妖怪やねん。オレは河童か。前世が河童てどういうことやねん。尻子玉抜くぞコノヤロウ。河童と言えば西遊記沙悟浄が有名だけど、原作では沙悟浄は河童じゃねえんだぞチクショウ。じゃあなんの妖怪かって? フザケンナ自分で調べろ。一応教えといてやるけど、河伯っていう仙妖だワカッタカ。それがあんまり有名じゃないってんで、日本語に訳すときに河童に変えられたんだってよ。なかなか無茶してくれるじゃねえかバカヤロウ。河伯と河童はめっちゃよく似てて、河童のルーツは河伯とも言われてるらしいけど、その割りに、河伯はかなり強くて格の高い妖怪なんだよ。西遊記の河童といえば目立たない脇役で、冴えないおっさんの岸部シローが適役だ、キャスティングが絶妙だと思っていたオレの純真な子供心を返せコノヤロウ。ていうか、子どものころにそんなことまで考えてねえよ。なんていうか、結局なにが言いたいのか分からなくなってんじゃねえか。もう誰かオレの尻子玉を抜いてくれチクショウ。

 ……申し訳ない。少々取り乱してしまった。
 とまれ、そこまで水の性質を持っていながら、何故水が怖いのか。
 それを自分なりに考察してみたところ、おそらく、水との親和性が高すぎる私の性質を、私の本能が危険と判断して必死に押し留めているからなのではないかという結論を得た。
 つまり、油断するとすぐに水に引き寄せられそうになってしまうところを、生存本能が「あんまり近付くと大変なことになるぞ」と警告を発し、その警告を意識の側が、「水が怖い」と認識して近付かないように制御しているのではないか、ということである。
 科学的な根拠はまったくないが、私としてはそんなふうに思っている。
 落語で言う「まんじゅう怖い」と同じである。(たぶん違うと思う)
 あるいは、「嫌よ嫌よも好きのうち」と同じである。(だからたぶん違う)
 そしてそれが正解であるとするなら、私の水への恐怖心は、克服しようのないものである、ということになる。
 克服しようとするなら、それこそそっち系の妖怪にでもならないと無理なのではないか。
 って誰がそっち系の妖怪やねん!