アストラル育毛
髪が薄くなってきたのである。
ハゲ言うな。
断じてハゲではない。
髪が薄くなってきたのである。
日々領土を拡大していく額の猛攻を、私はただ為す術なく呆然と眺めることしかできなかった。
そんなとき、妻が興味深い話を仕入れてきた。
妻の知り合いに、とある気功の先生がおり、その先生から聞いてきた話である。
その気功の先生の患者に、かなり頭髪状況の寂しい男性がいたそうである。その男性にはあと数ヶ月後に結婚式を控えている娘がいたらしく、その男性は、娘の結婚式にこんな寂しい頭髪状況で出席するのが心苦しいとこぼしたという。
すると気功の先生が、では結婚式までに頭髪を増やしましょうと宣言し、その男性は見事、娘の結婚式に盛況たる頭髪状況で出席できたというのである。
事実とすればまさに驚くべき話であるが、さらに驚くべきは、その気功の先生が用いた手法である。
その先生はなんと、患者の肉体ではなく、アストラル体に働きかけることによって頭髪を増やしたというのだ。
アストラル体とは、スピリチュアル方面でいうところの、霊的質量のひとつである。
スピリチュアル世界では、肉体が霊的レベルが最も低く、その肉体と密着するエーテル体なる霊的質量があり、その上位に存在するのがアストラル体であるとされる。アストラル体は精神を司り、アストラル体を整えることで心の不調が解消され、精神の霊的レベルが上げられるという。
そのアストラル体を刺激すればハゲ、じゃなくて薄くなった頭髪状況も改善させられるというのだ。
それが本当なら、なんと素晴らしいことか。
世のハゲ、じゃなくて頭髪状況の寂しい男性諸君の希望の道となるに違いない。
というわけで、私も早速試してみることにした。
妻の説明によると、まずは手の平に、育毛用のヘアブラシのピンのようなものを生やすのだそうである。もちろん、想像の上で、である。アストラル体は目に見えないので、操作するには想像するしかないのである。
手の平を育毛ブラシにしたところで、そのブラシで、頭部から数センチ離れたあたりを優しく叩くのだという。アストラル体は肉体を覆うように存在しているため、肉体から少し離れた場所を叩くことで、アストラル体を直接刺激することができるのである。
それを毎日、時間があるときに続けてみると、頭髪が復活するというのだ。
私は始めてみた。
暇をみては、手に見えないピンを生やし、目に見えないアストラル体を叩き続けた。
とりあえず二週間ほど続けてみたのだが、しかし一向に頭髪がにぎやかになる気配はなかった。
何故なのか。
私は悩んだ。
そしてふと気が付いた。
いくら手からアストラル体のブラシを作っているといっても、手を動かして叩いているという時点で、それは低位である肉体を使って上位のアストラル体を刺激しようとしていることである。それではアストラル体は刺激できないのではないか。アストラル体を刺激するのであれば、同じアストラル体を使わなければならないのではないか。
つまり、肉体としての手を使わず、アストラル手を使ってアストラル頭を直接刺激するのだ。
私は早速チャレンジしてみた。
アストラル手をブラシに変形させ、アストラル腕を動かしてアストラル頭を叩くのである。
肉体を一切動かさなくなるため、見た目には、ただじっとしてぼうっとしているだけである。
手で頭の数センチ上を叩いているおっさんの姿もなかなかシュールだが、ただ中空に視線を投げ出して、よだれを垂らしそうな表情でぼうっとしているだけのおっさんの姿となると、それはもはや恐怖である。早く戻ってこい、さもないと大変なことになるぞ、と声をかけてやりたくなるし、しかしそれも怖くてはばかられる、というような状況である。
とまれ、私はそのアストラル手によるアストラル頭皮マッサージを続けてみた。
しかし、やはり状況は改善されない。
何故なのか。
また私は悩んだ。
アストラル体でアストラル体を直接刺激するということ自体が、技術的に私にはまだ無理なことなのだろうか。
もっとなにがしかの修練を積まなければならないのか。
しかし修練を積んでいるあいだに取り返しのつかない頭髪状況になってしまったらどうすればいいのか。
そんなことを考えていたとき、私はまたはたと気が付いた。
アストラル手でアストラル頭皮を刺激しても、生えてくるのはアストラル毛だけなのではないのかと。
アストラル毛は、肉体的な毛に影響を及ぼさないのではないのかと。
アストラル毛がいくらふさふさになっても、それが物質としての毛に作用しなければ、アストラル無駄である。
本当にそうなのだろうか……。
私は愕然としたが、現実としてなんの変化もない以上、そう考えるより他ない。いや、考える他は実はいっぱいあるが今は考えない。こういう思考態度がすべての原因のような気もするが、今はもう考えない。
しかし、せっかく始めた実験なので、今しばらくは続けてみたい。
諸君、次会ったとき、私の頭髪状況がにぎやかになっていたら、アストラルびっくりしてくれたまえ。