べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

散歩のせい


 最近、朝に散歩を始めたせいか、夜になるとものすごく眠たくなる。
 それも十二時を越えると、途端にダメである。
 以前はそんなことはなかった。
 三時でも四時でも、好きな時間まで起きていられた。
 そんな日々が、まるで夢のようである。
 決して加齢のせいではない。
 散歩のせいである。
 だって、散歩を始める前は普通に夜更かしできてたんだかんな、本当だぞ。
 そうでなければこの春の陽気のせいである。
 繰り返すが、断じて加齢のせいではない。
 腹がますます出っ張ってきたのも、顎の下にうっすら肉が付き始めたのも、すべて加齢のせいではなく、散歩のせいなのである。
 散歩のせいにするったらするのである。

 とまれ、散歩の目的地は、近所の八幡神社である。
 片道十五分、往復で三十分というところだろうか。
 運動不足の私にはちょうどよい距離である。
 神社へのお参りは本来午前中にするべきだというのを、以前どこかで聞いたことがある……ような気がする……かどうかも定かではないが、そんなようなことを小耳に挟んだ……ような気がする……(無限ループ)ので、なるべく午前中に参るように心がけている。
 先日などは、私が手を合わせて願いごとをした瞬間に、町に正午を知らせるチャイムが鳴り響いた。
 危ないところだった。
 九死に一生を得た。(そこまでのことではない)
 ちなみにそのときの願いごとは、「楽して暮らしていきたいのでよろしくお願いします」であった。
 なんかもういろいろダメなような気がするが、現世利益とはそういうものだからいいのである。(いいのか?)

 しかし、ベッドに入る前に眠気に襲われる、というのは、ここ数年経験していないことだった。
 いつもは酔っ払って倒れるように寝るか、そうでないときは本を読みつつうつらうつらするのを待つかの二択ぐらいであったのだ。
 我ながら、健全になったものである。
 繰り返すが、決して加齢のせいではない。
 その証拠に、あえて散歩をしなかった日は、夜まったく眠くならず、夜更かししてしまうのである。
 散歩しなかったと言っても、それはサボったわけではない。
 散歩をしなければ夜どうなるか、という実験をしただけのことである。
 実験の結果、散歩をしなかった日は眠くならなかった。
 やはり散歩と眠気は連動しているのである。
 それが分かっただけでも、サボった甲斐はあったのである。
 この実験は、統計学であり帰納法でありアウフヘーベンされなければならない命題である。(なにを言っているか分からないだろうか。大丈夫。私もなにを言っているか分からない)
 つまり、これからもちょくちょく散歩をサボって、その結果を確かめていかねばなるまいということである。
 実験であるから、くれぐれもサボっていると先生に言いつけたりしないように。(先生って誰だよ)