べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

映画部活動報告「探偵はBARにいる」鑑賞

 様々な趣味を「部活動」と称しておこなっているのである。
 今回は「映画部」。
 その名の通り、映画を観るというだけの部活動で、部員は部長の私を筆頭に、友人のK夫妻おふたりの計三名。他の部活動も、部員はたいていこの三人である。誰か友達になってください。
 ちなみに、K夫妻のうちご主人のK氏は、上映前に酒を飲み、鑑賞中寝てしまうことが多いため、ペナルティとして仮入部員扱いとなっている。
 新入部員は常に募集中。
 特に女性部員を募集中。
 ぶっちゃけ彼女募集中。

 今回、映画部として鑑賞した作品
探偵はBARにいる
 監督 橋本一
 出演 大泉洋 松田龍平 小雪 など

 あらすじ
 大泉洋(そういえば役名がない。ただの探偵)は、札幌はススキノで探偵をしている。
 行きつけのバーの一角を事務所代わりに使い、店の黒電話で依頼を受けるというのが彼のスタイルである。
 ある日、そのバーの黒電話に、近藤京子と名乗る女から依頼が入ってくる。
 簡単な仕事と考えその依頼を実行した探偵だったが、その直後、やくざに拉致され、雪の中に埋められてしまう。命からがら逃げ出した探偵は、殺されかかったことに腹を立て、依頼者の背景を独自に調べ始める。近藤京子から奇妙な依頼は続き、探偵は知らぬうちに、数年前に起きたある事件の核心へと迫っていく。

 感想
 和製ハードボイルドといえば、松田優作主演の「探偵物語」がまず浮かんでくるが、この作品も、まず間違いなくその「探偵物語」を意識したものであろう。
 少し青みがかった、コントラストの高い映像。バーを事務所代わりにする探偵と、空手の師範代だがぐうたらでどこでもすぐ寝る助手。ギムレット。両切りの缶ピース。オセロ。降り積もる雪の中を、コートの襟を立ててひとり歩く探偵。
 そしてさらには、右翼団体を名乗るやくざ組織や、そのボスと全共闘時代に同志だった実業家、そんな彼らとは対照的に、貧乏故に崩壊するあるひとつの家族、などとくれば、舞台装置は完全に七十年代である。
 何しろ、一番最初のパーティのシーンで歌を歌うのが、かのカルメン・マキなのだ。その意図は、推して知るべしであろう。
 この作品は、そういった七十年代的ハードボイルドの舞台装置を、二○一一年、今の時代に置き換えればどうなるか、というものである。もしかしたら違うかも知れないが、私がそう思うのだからそうなのである。
 そしてその試みは、華麗に失敗する。
 いくら舞台装置が七十年代でも、時代が変わればひとが変わり、ひとが変わればストーリーだって変わるのだ。
 「探偵物語」が作られた七十年代後半から八十年代前半といった時代は、良くも悪くも、あり余ったエネルギーが爆発していた時代だったように思う。一般人や、裏社会の住人や、その他訳の分からない人たちが、渾然一体となって訳の分からないままどこかへ猛進していたような感じ。
 それは「熱」と呼ぶべきものだろうか。
 しかしその「熱」は、時代とともに放出され尽くしてしまい、現代にはほとんど残っていない。
 そしてそんな冷え切った現代においては、すべての七十年代的ハードボイルド世界の登場人物は、戯画的で薄っぺらな存在になる。
 昔は得体の知れない恐ろしい存在だったやくざが、今では、自らの犯罪が明るみになることを防ごうと四苦八苦する滑稽な者たちになり、同じように、目の前に横たわる面倒事をばったばったと力と頭脳でねじ伏せていくタフでクールな存在であったはずの探偵は、誰かのためではなく自分のためだけに動き、事件にただ翻弄されるだけのチープな存在へと堕す。
 「探偵物語」的七十年代のハードボイルド観から見れば、本作は明らかに失敗であろう。
 しかし、では現代においても失敗かと言えば、まったくそうではない。
「七十年代の舞台装置を現代に持ってくれば、そりゃこんな風な戯画的な話になるよね」という制作者側の意図が見えた瞬間、その失敗は成功へと姿を変えるのだ。
 意図的に失敗しようとして、そのように失敗すれば、それは成功なのである。
 前段で、「華麗に失敗する」と書いたのは、そういう意味だ。
 つまり本作は、七十年代的ハードボイルドがカリカチュアライズされた作品なのである。

 と、ここまで書いて、何だかよく分からなくなってきた。
 そもそも、「探偵物語」と比べようとするから、失敗が成功だ、などとよく分からないことを言い出す羽目になったのだ。
 何がカリカチュアライズだよ、意味分かって言ってんのか?
 カリカリのライスじゃねえぞ、炊飯器の蓋を開けっ放しにするからそうなるんだよ。

 そんな小難しいことを考えずとも、これは素晴らしく面白い作品なのである。
 アクションあり、推理あり、サスペンスありの、エンターテインメントの王道を行く作品なのだ。
 大泉洋のチャーミングさがとてもいいし、男の色気をぷんぷん発散させている松田龍平もいい。 
 そしてストーリーの肝となるヒロインに、小雪を据えたのも大成功だろう。
 小雪、めちゃ怖いのである。役も怖いのだが、それ以上に小雪自身が怖いのだ。

 ちなみに、映画部唯一の女性部員であるK氏の奥さんは、小雪演じる沙織という女性の本心に、早い段階で気が付いていたらしい。
 他の男ふたり――酔っぱらいの仮入部員(今回は飲んでなかったが)も、部長たる私も、そこに気付いたのは映画を見終わったあとだった。
 男とはかくもぼうっとしているものであり、そして女とは、小雪に限らずみな怖いものなのだということを思い知らされた作品であった。