べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

ウィークポイント

 ひとはみな、多かれ少なかれ弱点を持っている。
 暗闇、幽霊、悪夢、他人、高所、夏、脇腹、ぬるぬるした食べ物、人生、など、その種類こそさまざまだが、弱点がないという人間はいないであろうと思われる。
 ちなみに、上に列挙したのはすべて私の弱点である。
 私ほど弱点が多い人間もそういないだろうと思うが、そんな数ある私の弱点の中でも、最たるものがある。
 「虫」である。
 私は虫が怖いのである。
 まず虫は、何を考えているのか分からないところが怖い。
 仮に、膝をつき合わせて小一時間見つめ合ったとしても、おそらくまったく分かり合えないに違いない。分かり合えたらそれはそれで怖い。
 それから、壁を上ったり天井に張りついたりするのが怖い。
 子どものころ、眠ろうと思って何気なく天井を見ると、そこに大きなムカデが張りついていたことがある。あのときは本当にぎょっとした。見なかったふりをして寝ようかとも思ったが、眠れなかった。余談だが、「見なかったふり」は私の必殺技である。今でも重要な場面でしばしば用いることがあるが、成功したためしがない。
 結局そのときは大騒ぎして窓からご退場いただき、ことなきを得たのだが、ムカデは、潰したりして殺すと、その匂いを嗅ぎつけて仲間が大挙してくるというのをあとから聞いて、心底ぞっとした記憶がある。(真偽のほどは定かではない)

 弱点といえば、私がまだ幼かったころ、確か小学二、三年生のころだったと思うが、マンガか何かで、「ウィークポイント」という言葉を初めて目にし、意味が分からず母に訊ねたことがあった。
「ん――」そのとき母は、しばらく考えてから、こう答えた。
「そのひとの、かわいい部分という意味」だと。
 そうなのか、と幼かった当時の私はそれを何の疑いもなく受け入れたのだが、話を読み進めるうちに、なんかちぐはぐだな、と納得いかなかったことを覚えている。

 話を元に戻す。

 虫の中でも、私がもっとも苦手なのが「G」である。
 「G」と書いても分からないかも知れないので詳しく言うと、「ごきげんようお久しぶり」の最初と最後のふた文字を足した、計四文字のあいつである。
 昔、私が高校生だったころ、家族のほとんどが用事で家を空け、私と妹だけが留守番するという夜があった。
 私は居間におり、妹は二階の自室にいた。
 私が居間でぼうっとテレビを観ていると、そこにやつが現れた。
 やつの視線には殺気がある。
 そのときも、何か視線を感じる、と何気なく目を向けたところに、やつがいたのである。
 やつは私と目が合った途端、カサカサカサ、とフローリングの床をこちらに向かって走ってきた。
 ――殺られる!
 そう思った私は、咄嗟に食卓の上に飛び乗り、恥も外聞もなく大声で叫んだ。
「妹よ! 助けてくれ!」
 尋常ならぬ私の声を聞いた妹が階段を駆け下りて登場し、その事件は無事解決を見たのだが、私は未だかつて、このときほど大声を出したことはない。
 そして、このときほど妹が誰かの役に立ったということもないのではないだろうか。
 まさしく、妹の人生のハイライトであったと言っても過言ではないであろう。
 
 しかし考えてみると、虫が怖い、という男性は、女性から不当に低く見られ過ぎてはいまいか。
 私からすれば、虫が怖いというのは、熊が怖いとか、虎が怖いとかと同じ意味なのだが、おそらくそこが理解されないところなのであろう。こちらが必死になって言えば言うほど、どんどん地位は下がっていき、最終的に「情けない男」「弱虫」(ここにも虫だ)というレッテルを貼られてしまうのである。
 そしてそれに、こちらはまったく反論できないのだ。
 何とも不条理な話である。

 そういえば、中学生になり、英語を学んだ私は、「ウィークポイント」の意味を知って、母に訂正を申し立てたことがあった。
「それはチャームポイントや!」
 しかし、母は当時のことをまったく覚えておらず、私の数年越しのツッコミは、見事な空振りに終わった。
 まったく不条理な話である。