酒と菓子パンと私
夜、ひとり酒をすることが多い。
大抵、何か映画のDVDを観ながら、自室でひとりだらだらと飲む。
つい先日もそうやって、ひとりで、酒を飲んでいた。
大事なことなので何度も書くが、ひとりで、である。
誰か一緒に飲んでやってください。
で、ひとりで(しつこい)飲んでいたその日、急に腹が減った。
飲んでいるときに腹が減るのは、脳の錯覚だと聞いたことがある。
何でも、満腹中枢がアルコールで麻痺するとか、血中のアルコール濃度が高まると、脳へのグリコーゲンの供給量が減るため、もっと食べて栄養分を補給せよという命令が出るとか、そういことらしいが、適当な話ゆえ、賢明なみなさまは信用なさらぬと存じております。
脳の錯覚だか何だか知らないが、飲んだあとのラーメンがうまいのは覆せない事実であり、酔った頭ではその誘惑に抵抗できないのは自明である。かくして順調に腹が出っ張り、立派なおっさんが形成されていくのである。
しかし、問題のその日、家には食料がなかった。
インスタント食品はおろか、ちょっとしたお菓子のようなものさえ、まったくなかったのである。
どうするべきか、私は悩んだ。
コンビニに買い出しに行きたいのは山々だが、酒を飲んでいるため車は出せない。しかし、歩いて買い出しに行くのはまことに億劫である。だが行かねば空腹は収まらない。
行くべきか、行かざるべきか、それが問題だ。
ハムレットもかくやというほどの葛藤の中で、私はあることを思い出した。
そういえば、戸棚の中に、菓子パンの残りがあったはずだ、と。
それはバターロールという名の菓子パンで、小さなパンがひと袋に六個入っているというものである。
二日ほど前、その六個のうち、三つほどを食べ、残りを取って置いたのだ。
私は早速戸棚を調べた。
あった。
その日はウィスキーを飲んでいたので、果たして菓子パンが肴として合うかという疑問はあったが、空腹には勝てない。
私は意気揚々と座卓に戻り、バターロールの袋を開けた。
そして映画に目を戻しつつ、ウィスキーで少し口を湿らせてから、パンを取り出して囓った。
何ともふくよかな味がした。
まったりとした食感で、僅かに酸味があり、香りもいい。
うまいではないか、と驚いた私の脳裏に、ある疑問が湧いた。
先日食べた時は、こんなにうまかったか? という疑問である。
酒のせいだろうか。酒のせいでパンの味がよくなるなんてことがあるのだろうか。
そう思いながら何気なくパンに目をやった私は、そこで真の驚愕に襲われた。
何と、そのパンには、カビが生えていたのである。
うえっ、私は口の中にあったパンを慌てて吐き出し、洗面所へ行って口をゆすぎ、歯を磨いた。
戻ってきてよく見ると、残していた三つのパンには、三つとも、うっすらと青カビがついていた。
何故食べる前に気が付かなかったのか。私は自分の迂闊さを責めた。
しかし、ひと囓りしただけとはいえ、少しは飲み込んでしまっている。
カビ食って大丈夫なのかと不安になった私は、映画もそっちのけで、ネットで対処法を調べようと検索してみた。
胃薬か何かで間に合えばいいが、へたをすると、病院に行かなければならないかもしれない。
検索してみると、「カビたパンを食べちゃったんだけど大丈夫?」などという話題がかなりの数出てきた。
私はその中のいくつかの記事をピックアップして目を通した。
するとそこには、ほぼ例外なく、「少量なら問題ないですよ」というようなことが書かれてあった。中には、「青カビなんてチーズにもついたまま食べるものがあるし、インシュリンの元なんだから体に悪いわけがない」とまで書かれているところもあった。
――何だそれ?
肩の力が一気に抜けた。
騒いだ私が馬鹿みたいであった。
――そりゃあ、ブルーチーズもゴルゴンゾーラも好きだけどさあ、でも、もっと何かこう、気を付けろ、とか、冷静に対処せよ、とか、あるんじゃないのか普通は……。
私は変なところで落胆した。
翌日を迎えても、腹痛はおろか下痢にさえなっていなかったので、ネットの記事は誤りではなかったことが証明されたのだが、しかし、今でも何か釈然としない気持ちが残っているのも事実なのである。
とまれ、この事件で私は、 私以外にも迂闊な人間はけっこういるもんだなあということと、パンはわざとカビさせて食べようなんて思い始めたらイヤだな、というふたつの感想を持つに至った。
もうちょっと、マシな感想を持つ人間になりたいものである。