べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

そっくりさん

 私のそっくりさんが出没するらしいのである。
 最初にその話を聞いたのは、もう二、三年前ほどになる。
「夜、歩いているのを見かけたので声をかけたのに、無視した」と言われたのが最初だったと記憶している。
 それ以降、何ヶ月かに一回くらいのペースで、数人の知り合いから、見かけた、という話を聞くようになった。
 しかし、彼らが私を見たという日に限って、私はどこにも出歩いておらず、ひとり自室で引きこもっていたりするのである。
 それぞれ知り合い同士には繋がりがなく、見かけた日も別々なので、申し合わせて私をからかっているという可能性はない。
 確かに私は、十把一絡げ的、平均的日本人的、平凡かつ没個性的な顔立ちなので、似ている人間もそこら中にいるだろうとは思うのだが、何人もの知り合いから、謂われのない目撃談を聞かされたりすると、少し不思議な――というか、不安な気持ちになる。
 よほど似ているのであろう。
 ひと目会ってみたいものである。
 だが、ひとつ気に入らないのは、その目撃情報の内容である。
 私を見たという彼らの証言によると、見かけるのは夜が多いらしいのだが、そのそっくりさんは、いつもきれいな女性とふたりで歩いており、ときには手を繋いだり、肩を抱いていたりするというのだ!
 おかげで私は「あのきれいな女性は誰だ?」と常にからかわれる羽目になるのである。
 しかし、それは断じて私ではない。
 私の名誉のために言っておくが、私は大抵、夜は家でひとりで酒を飲んでいるのである。
 ひとりで……酒を……うう……。

 それにそもそも、私にきれいな女性の知り合いなどいない。いやいる。私の知り合いの女性は、みなきれいな方ばかりである。小野小町もかくやといわんばかりであると言っても過言ではない。いやある。いや違う。私が言いたいのは、私の知り合いの美しい女性の方々は、私と手を繋いで歩いてなどくれない、ということであって、決して美しい女性の知り合いがいないという意味ではない。みなさん美しい方ばかりであることは間違いない。うむ、間違いないぞ。間違いない。
 ふう。

 それにしても、私のそっくりさんが、本物の私よりモテているというのが、どうにも納得いかない。
 そっくりさんからすれば、私の方がそっくりさんで、互いに本物も偽物もないのは分かっている。
 分かってはいるが、そういう理屈では割り切れない、何とも言えない落ち着かない気持ちがあるのだ。
「ちょっと負けちゃってる感」とでもいうのだろうか? いやいや負けてないし。ていうか最初から勝負してないから勝ち負けなんてカンケーないし。まだ俺は本気出してないだけだし。

 とにかく私は、一度そのそっくりさんに会ってみたいのである。
 そして面と向かってこう言ってやりたいのである。
「そのきれいな女性とは、どうやって知り合ったんですか?」と。