べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

うどんツアー&本広作品聖地巡礼の旅 その二


 ということで、うどんツアー&本広作品聖地巡礼の旅二日目である。
 大晦日の朝を迎え、ホテルを出発。
 朝食にうどん屋に立ち寄ろうとするが、どこも閉まっている。
 そりゃそうだ。大晦日の朝9時に開けている店の方がおかしい。
 しかしどうにも諦めきれず、うどん屋を探しつつ、善通寺を離れて丸亀市の宮池という場所へ向かう。
 宮池は、映画「UDON」で、主人公の実家である松井製麺所が作られていた場所であり、讃岐富士と呼ばれる飯山がもっとも美しく望める場所である。
 松井製麺所の建物はすでに完全に撤去されているが、基礎はまだ残されており、間取りが記されている。

宮池と飯山 左が松井製麺所跡地

 そこから丸亀城を眺めつつ、中津万象園へ。ここは「曲がれ!スプーン」で使われた邀月橋(ようげつばし)があるところである。
 中津万象園は、丸亀二代目藩主京極高豊候によって作られた日本庭園、らしいのだが、現在は何故か、その隅っこにミレーやルソーといったバルビゾン派の絵が飾られた美術館があったり、古代オリエントの陶器や土器などが展示された博物館があったりする。
 何故そんなものが日本庭園に併設されているのか、それは誰にも分からない。(そうか?)
 妙にスケール感の小さい、箱庭的な日本庭園と、中途半端な展示館(失礼)のコラボレーションによって、どこかシュールな雰囲気が醸し出されている不思議な場所であった。

中津万象園の邀月橋

 その中津万象園を見学したあと、丸亀商店街へ移動する。
 何本も筋のあるすごく大きな商店街だが、見事なまでにすべての店のシャッターが閉まっている。
 やはり商店街は斜陽の時代なのだろうか、としたり顔で考えていたのだが、よく見ると、シャッターには謹賀新年のポスターがちらほら。そう、ただ単に、大晦日で閉めている店が多いというだけのことだったのだ。妙に静かな商店街を通り、「UDON」で使われた宮脇書店を眺めてから、「本格手打ちうどん つづみ」でうどんを食す。
 かけうどんと、腹が減っていたので、おでんも数点。うまい。出汁があっさりで、うどんにもコシがある。うどんといえば、私は月見が好きだったのだが、讃岐のかけうどんには卵はいらないかも知れないということに、ここで気付く。遅い。もちろん、ぶっかけとかには卵はあってもいいのだが、かけに卵を入れると、出汁が濁るような気がしないでもない。もったいないように思う。
 腹を膨らませたあと、「UDON」のロケ地のひとつ、瀬戸大橋記念公園の屋外ドームへと向かう。のだが、これが意外に難航。というのも、そこへ向かう途中に、番の州公園というこれもまた大きな公園があり、そこと間違ったのである。番の州公園の案内図を見て、「ドームは絶対ここや」と行ってみると閉鎖されたプールだったり、海岸のすぐそばだったはずと海側へ向かってみれば、防波堤でおっさんがふたりのんびり釣りをしている光景にぶつかっただけだったりした。大晦日だぞおっさん、他にすることないのかおっさん、帰っても居場所がないのかおっさん。
 そんなこんなでようやく辿り着いた瀬戸大橋公園は、想像以上に立派な公園だった。
 ここに辿り着けたときは、私は大いなる達成感を覚え、感動に打ち震えた。
 諦めずに頑張り続ければ、必ず目標には到達できる。
 そんな思いを、私は全国の子ども達に伝えたい。
 まず、ひとつひとつの建物がでかい。万象園とは真逆である(失礼)。海に向かって広いプロムナードが真っ直ぐに伸びており、その中心を、噴水の備え付けられた水路が走っている。プロムナードの左右には広い芝生と子供らの遊技場が設けられていて、その終点には、ででーんと展望台を兼ねた記念館がそびえ立つ。(その日は閉館していた)
 何というスケール感。でかい。
 すぐ上空を走る瀬戸大橋と相まって、その景観はもうちょっと怖いくらいである。
 映画「UDON」で使用されたマリンドームは、その記念館のさらに奥、本当に海のそばに作られていた。
 我々が行ったとき、そのドームの舞台では、おっさんがふたり、ギターを抱えて歌を歌っていた。大晦日だぞおっさん。他にすることないのかおっさん。帰っても居場所がないのかおっさん。でもこのドームはよかった。もしよければ、私も一曲がなってみたいと思う場所であった。

マリンドーム 左端、おっさんがデュオで歌っている


 ドームを見学したあと、せっかくだからと記念館の上の展望台へ上る。記念館はコンクリート剥き出しのピラミッド風の建物で、その展望台は風よけや壁のない吹きっ晒しである。でかいわ味気ないわ目の前には海しかないわで、もう本当に怖い。「愛ゆえにひとは苦しまねばならぬ! 愛ゆえにひとは悲しまねばならぬ! こんなに苦しいのなら悲しいのなら……愛などいらぬ!」という聖帝サウザー(by北斗の拳)のセリフを猛然と叫びたくなったが、辛うじてしなかった。いや、決して恥ずかしかったからというわけではなく、何かその……はまりすぎて……怖かったから……。

聖帝サウザーの十字陵……じゃなかった記念館展望台

 それから、その隣に立っている瀬戸大橋タワーというものに乗ってみる。百八メートルあるタワーで、東京タワーや通天閣と並んで、一度は乗ってみたいタワーの六位(七位だったか?)にも選ばれているらしい。
 展望室は、タワーの外周に輪っか状に備え付けられており、乗り込むと、展望室自体がぐーるぐーるとゆっくり回転しながら上昇し、三百六十度のパノラマ風景を楽しめるというものである。
 このタワーの展望室に乗り込んだとき、悲劇は起きた。
 K氏が、気分が悪くなって――というよりは明らかに怯えて――風景に背を向け、椅子にうずくまって震え出したのである。
 私も高いところは苦手で、このときもきゃあきゃあと大騒ぎをしていたのだが、K氏の怯え方は私の比ではなかった。
 まるでお化け屋敷に閉じ込められた子どものようであった。小便を漏らすのではないか、あるいは、その寂しくなった頭髪が余計に寂しくなるのではないかと心配した。
 しかし、K夫人はそんな旦那を一切心配する様子もなく、眼前に広がる瀬戸内海の絶景をひたすら楽しんでおられた。
 さすがである。
 いざとなれば男より女の方が断然強い、そんなありきたりにして残念な事実を、まざまざと見せつけられたひとときであった。

タワーから望む瀬戸内海と瀬戸大橋


倒れるK氏と楽しむK夫人

(K氏にとって)這々の体で瀬戸大橋記念公園を脱出したあと、我々は琴平町金比羅宮へと向かった。金比羅宮は、象頭山の中腹に建てられた神社で、長ーい階段の参道をただひたすら上っていくことで有名である。参道口から本宮までは七百八十五段、奥社までは千三百六十八段の階段があるらしい。参道の両側には、延々と土産物屋が並ぶが、それを見て回る余裕があるのも、最初だけである。そのうちすぐに息が上がり、膝が震え、意識が朦朧としてくる。私は何故こんなところを上っているのか、上った先に何があるというのか(金比羅宮がある)、わざわざ四国まできて何故これほど苦しまねばならないのか、人生とは苦行なのか、足が痛い、愛別離苦より足が痛いのが辛い、膝が笑う、辛いのに笑うとはどういうことだろう、とにかく、先にうどんを食べてなくてよかった、うどんを食べていたら間違いなく吐いていた、今吐いたらうどんはちゅるちゅると階段を滑って落ちていくのだろうか、それはちょっと見てみたい、いや見たくない、というような精神的肉体的危機状況に陥ること請け合いである。
 そして結局我々は、本宮どころかそのだいぶ手前の大門に到着したところで、それ以上の進軍を諦めた。
 いや違うよ、そうじゃないよ、ほら、まだ余裕はあったけどさ、K夫妻をご実家に送り届けないといけなかったしさ、あんまり遅くなると失礼だろ、だからさ、自分のためじゃなくて、K夫妻のために、泣く泣く諦めたのさ。ほ、本当だって、何で信じてくれないんだよ、でも知っているか、膝って笑い過ぎると怒り出すんだぜ、どういう意味かって? それは私にも分からない。
 ということで、我々はズタボロになりながらきた道を折り返し、息も絶え絶えに金比羅宮をあとにしたのである。

金比羅宮大門から望む琴平町

 それから我々は、うどんの食べ収めにと、灸まんという店に立ち寄った。灸まんとは、金比羅さんのお土産として有名な饅頭で、お灸に使うもぐさの形をしていることからその名が付けられたらしい。その饅頭屋が、うどん屋も始めたということのようである。
 ふん、どうせ資金力に物を言わせた、観光客相手の見せかけのうどんなんだろ、とひがんでいたのだが(何故ひがまなければならないのか分からないが)、食してみると、これがかなりおいしかった。コシの強さ、味、どれを取っても、讃岐うどんらしい、王道のうどんであった。やはり大手は安定感があると、ころりと手の平を変える。

 その後、K夫妻を、何かもの凄い峠(猪ノ鼻峠というらしい。何とも恐ろしげな名前だが、実際ほんとに怖い)を越えて奥さんのご実家のある徳島までお送りし、私はその家にはまったく顔も出さず、謎の男として去ったのだった。
 いくら何でも、挨拶もしないで帰るというのは失礼なのではないだろうかというのは、もちろん私も考えた。
 しかし、挨拶に伺えば、きっと、まあ上がってお茶でも、となるだろうし、お言葉に甘えてお茶をよばれながら歓談していたら、まあ晩ご飯でも、となるに違いない。で、断り切れずに晩ご飯をいただくと、まあ酒でも一杯となるに決まっているのだ。そしてあげくには、へべれけになって泊めてもらうことにまでなってしまうのだ。そういう事態を未然に防ぐために、あえて私は遠慮したのである。
 ならばお酒を飲まなければいいというご意見もあるだろうが、しかし、私にとって、目の前に出された酒を飲むなというのは、オ○ニーを教えた猿に、絶対するなと言っているようなものである。端から無理なことなのである。というより、旅行記の最後を下ネタで締めなければならない理由が私にもまったく理解できないのである。

 総記
 
 冒頭でも触れたが、私がちゃんと本場の讃岐うどんを食べたのは、実はこの旅が初めてのことだった。
 現地で食べるうどんは、やはりどこか違っていて、どの店もとてもおいしかった。
 この旅行から早くも十日ほどが経つが、あそこのうどんが食べたい、と不意に思ったりするほどである。
 香川県、是非また訪れたい場所である。

 それから、本広作品のロケ地巡り。
 やはり、映像で見知っている場所や建物を、この目でじかに見ると感動する。
 中には、「えっ、たったこれだけの場所をあんな風に映像に収めているのか」というようなところもあり、いい意味での映画の嘘と、本広監督の香川への愛が伝わった、素晴らしい体験だった。
 これから本広作品を観るときは、「あっ、この場所ってあそこじゃなかったけ?」とか「ここ行ってないな。どこにあるんだ?」とか、今まで以上に私もうるさくなるだろうから、映画部員は覚悟しておくように。私をこんな風にしたのは、あなたなんだからねっ!
 ということで、結局下ネタ気味に終わるのである。