べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

詣で部活動報告 その三

 書写山
 そこは天台宗の寺、「円教寺」があり、「西の比叡山」とも呼ばれる霊山である。
 その書写山の麓に辿り着いた我々は、そこで目を疑った。
 何と、麓から山の中腹まで、ロープウェイが設けられていたのである。
 すっかり観光地化されてんじゃないの、それでいいのか天台宗、とかツッコミながらロープウェイの乗り場に向かうと、案内係の女性が、「ロープウェイの下山の最終便は午後五時となっており、今からですと一番手前の摩尼殿までにしか行けませんが、よろしいですか?」と訊ねてきた。
 時計を見ると、すでに四時を過ぎている。
 話によると、「ラストサムライ」で使われた大講堂や食堂(じきどう)、常行堂などは、摩尼殿のさらに奥にあり、時間的に参拝は無理らしい。
 どうしようかと一瞬迷うが、せっかくきたんだから、摩尼殿だけでも見て帰ろうということになり、ロープウェイに乗り込む。
 すると意外なことに、ゴンドラの中には我々以外にも十人ほどの数の参拝客がいた。
 どうせならもっと早い時間にくればいいのに、物好きなひとがいるものだな、と自分のことを棚に上げる。
 そんな物好きな参拝客を乗せたゴンドラが、山肌に沿って上っていく。
 そこでふと思い出した。
 部員のK氏は、年末のうどんツアーで瀬戸大橋タワーに乗って以来、極度の高所恐怖症に陥っていたのだ。
 以前、駅に立ち寄ったとき、二階からの風景が怖くて見られなかったというのだから、彼の恐怖症も相当なものである。
 そのK氏が、ロープウェイからの眺望に耐えられるだろうか、パニックになって暴れたりしないだろうか、取り押さえようとして巻き込まれて、ばしゃーんと窓ガラスが割れてそこから一緒に落ちたりしないだろうか、とりあえずちょっと距離を取っておこう、と私は心から彼の身の安全を心配した。
 しかし当の本人は、何故だかこれは大丈夫だと、のほほんとロープウェイを楽しんでいた。
 拍子抜けである。というより、余計な想像をしてしまった私の方が、よほど怖い思いをした。
 何というか、足元の林までの距離が、落ちるときの様子がリアルに想像できるような、ちょうど怖い距離なのである。めっちゃ怖いと、ひゃあひゃあ言っているあいだにゴンドラが山腹に到着する。


ロープウェイのゴンドラからの風景


 ロープウェイの駅から摩尼殿まで、十五分ほど歩くらしい。
 とりあえず向かうか、と気楽に歩き出したのだが、これが思いの外辛い道だった。


円教寺仁王門 ここに辿り着いた時点ですでにへろへろであった

 とにかく、延々上り坂なのである。
 参道というよりは山道という方が合っている道を、ただひたすら上る。上る。上る。
 と思っていたら急に下り坂になる。
 何の予備知識も持たず、心構えがまるでなかった私にとって、この道は予想外の試練だった。
 こんな道、絶対トム・クルーズは歩いてないよ、車でぶいーんって向かったに違いないよ、渡辺謙は歩いていて欲しいな、真田広之は、道を使わず忍者みたく林の中を突っ切っていって欲しい、など勝手なことを考えながら、重い足を引きずって進む。
 坂を下りきると、眼前に摩尼殿が姿を現した。
 我々を威圧するかのごとく、急な階段を上った先にそびえ立っている。
 何だよ、また上るのかよ、下り坂と階段の谷間を埋め立てて、平坦な道にしろよ、と愚痴る。
 疲れすぎて愚痴しか出なくなっている。まあ、日頃から愚痴ばかりなのだが、ってほっとけ(乗りツッコミが下手である)


階段の下から望む摩尼殿


摩尼殿

 ひいひい言いながら階段を上り、摩尼殿に辿り着く。
 靴を脱ぎ、堂内へ上がる。
 ちょっとしたお守りなどの販売コーナーがあり、その奥右手にご本尊がましましている。
 摩尼殿のご本尊は、六臂如意輪観世音菩薩。
 かなり奥まったところに安置されており、手前には木の格子も設けられているため、その姿をはっきりと拝むことはできない。
 とにかく手を合わせ、そのあと回廊を歩いてみる。


摩尼殿の回廊 冬の冷たい空気が清々しい

 山頂にある寺だけあって、その眺望は見事である。
 が、あまりゆっくりはしていられない。
 ロープウェイの最終便は五時である。それに間に合うように駅に戻っていなければならない。
 見学もそこそこに、我々はきた道を引き返す。
 また上って上って、下って下る。
 五時の閉門に間に合わなかったらどうなるんだろう。
 まさか泊まらねばならなくなるわけではないはずである。
 となると、取り残された参拝客がいないかどうか、見回りがあるのではないだろうか。
 で、万が一ロープウェイの最終便に間に合わなかった客がいた場合、車か何かで麓まで送ってくれるのではないだろうか。
 そうであるなら、無理して山道を進まなくとも、ぼうっと待ってればいいんじゃね? というよこしまな考えが頭に浮かぶ。
 いや待て、ロープウェイの他に、バスが往復する道もある。下手をすれば、その道を勝手に歩いて帰れと言われるかも知れない。そうなったら地獄である。何としても間に合わなければならない、と己れを奮い立たせて道を急ぎ、最終便のゴンドラに乗り込む。
 自分でも不思議なのだが、高いところが怖いくせに、一番見晴らしのいい場所に陣取ってしまうのは何故なのだろうか。そして、怖くなるのは分かっているくせに、つい足元を覗き込んでしまうのは何故なのだろう。怖いもの見たさなのか、それとも想像力が欠落しているのか。
 このときも、ゴンドラの先端の席に座り、ひゃあひゃあ言いながら麓まで下りた。
 迷惑な客である。
 
 ということで、何とか参拝を終えた我々は、「今日はこれぐらいにしといたるわ」と池野めだか氏の名セリフをうそぶいて強がってみせたあと、ふらふらになりながら帰路についたのだった。
 書写山、また立ち寄らねばならない場所である。次はちゃんと奥の院まで行きたい、いや行きたくない、行かねばならない、のか? 行かなくてもいいだろう、いや行こうぜ、と思う場所になってしまった。
 しかしとりあえず、しょしゃざん、と、ちゃんと言えるようになるのが先であろうか。

 とまれ、次どこの神社仏閣を訪れるにしても、もう少し事前に下調べをしてから向かわねばならないということを肝に銘じた、詣で部の初めての活動であった。