「SPEC 天」鑑賞
「SPEC 天」
監督 堤幸彦 出演 戸田恵梨香 加瀬亮 神木隆之介 など
あらすじ
テレビシリーズ「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」の映画化作品であり続編にあたる作品である。
通称「未詳」と呼ばれる特殊な犯罪を扱う部署に、ミイラ化死体の事件が持ち込まれる。
捜査員である当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)は、その犯人がスペックホルダーと呼ばれる超能力者であると確信し、捜査に乗り出す。一方、死んだかと思われていた一十一(神木隆之介)が再び現れ、スペックホルダーを束ねてテロ活動を始める。当麻と瀬文は、ぼろぼろに傷つきながらもスペックホルダーたちと対決し、一を追いつめていくが……。
感想
ということで、前回の「シャーロック・ホームズ」に続いて、また私ひとりだけでの部活動である。
今回観た作品は「SPEC 天」。
これは、かの名作、「ケイゾク」の世界観を引き継ぐ作品である。
調べてみると、「ケイゾク」は一九九九年の作品であった。実に十三年前である。
当時、偶然テレビで「ケイゾク」と出会った私は、少し観ただけでドはまりした。
はまり過ぎて、テレビ放映が終わったあと発売されたビデオ(当時はまだVHSだったのだ)を即買いし、時をかまわずずっと何度も観続けて、「そんな気色の悪いドラマを食事中に見せるな」と親から怒られるほどであった。
そういえば、母さん、僕のあのビデオテープ、どうしたでせうね? ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谿へ落としたあのビデオテープですよ
ということで、もう一度観てみたくなったが、「ケイゾク」のビデオがどこに行ったか、どうにも思い出せない。というより、ビデオテープが出てきても、ビデオデッキがないので観られない。
時の流れとは残酷である。
話を進めよう。そもそも、その「ケイゾク」という作品では、超能力者はひとりだけしか出てこなかった。
そのひとりが、いわゆるラスボスで、そのラスボスとの対決が「ケイゾク」の大きなテーマのひとつであったのだが、それから十数年の時が過ぎた「SPEC」の世界では、超能力者は百万人にひとり(だったかな?)ほどの割合で存在しているという設定になっており、しかも、主人公である当麻自身もそのひとりということになっている。
そして、政府はその超能力者(スペックホルダー)を一掃することを決め、対するスペックホルダーたちは、自らの生きる道を確保するためにテロに身を投じる、という話なのだが、その構図は明らかに、現在の世界情勢の縮図である。「スペックホルダーだって人間だ!」という当麻の台詞が、痛々しくも抉るように胸に突き刺さってくるのは、この不条理で無慈悲な世界で、搾取され続け、虐げられ続けている人々の、魂の叫びを代弁するものであるからだろう。
とはいえ、我らが堤監督と脚本の西萩氏のコンビである。ただくそ真面目な話であるはずがない。ファンの心をくすぐる仕掛けが随所に散りばめられている。
私のお気に入りは、「未詳」の係長待遇、野々村(竜雷太)である。彼は「ケイゾク」から引き継がれているキャラクターであり、「みやび」という名前の女性を愛してしまうという宿業を背負った、難儀な人物である。「ケイゾク」の時に付き合っていた「みやびちゃん」は現在彼の本妻になっていて、愛人の「みやびちゃん」は警察官でありながら、本妻と対抗すべく司法試験を受けて合格し、司法修習生になっている。
この野々村という男、普段は適当で気弱な昼行灯なのだが、いざとなると途轍もない男気を発揮する、かっこいいおっさんなのだ。特に、「ケイゾク」時代からここぞというときに彼が発する「心臓が息の根を止めるまで、真実に向かってひた走れ。それが刑事だ」という台詞は、何度聞いてもぐっとくる。かっこよすぎる。反則である。私も野々村氏のようなじじいになりたい……いやそれはさすがに言い過ぎである、そうでもない。そういうんじゃない。
「ケイゾク」時代からのファンである私としては、今の愛人の「みやびちゃん」もかわいいけれど、奥さんの「みやびちゃん」も大事にしてあげなよ、と思う。バイアグラを飲み過ぎて死にかけるほど愛していたんだろ、と。
とまれ、本作は、この作品だけを観ても意味不明であろう。「SPEC」のテレビシリーズから、いや、欲を言えば「ケイゾク」のテレビシリーズから観て、初めて楽しめる世界である。
是非「ケイゾク」から観ていただきたい。今でもレンタル店で置いてあるはずである。置いていないとは言わせない。置いてないならその店は失格である。って、私の近くの店にはなかったのだが。時の流れとはやはり残酷である。テレビドラマ史上に残る傑作だと思うんだけれどなあ。ていうか、「SPEC」より「ケイゾク」の紹介になっちゃってる気がしないでもないな。