「幸せへのキセキ」鑑賞
「幸せへのキセキ」
監督 キャメロン・クロウ 出演 マット・デイモン スカーレット・ヨハンソン トーマス・ヘイデン・チャーチ など
あらすじ
イギリスのジャーナリストであるベンジャミン・ミー(マット・デイモン)は、半年前に妻を亡くし、十四歳になる息子のディラン、七歳の娘ロジーとともに、失意のどん底にいた。
荒んだ生活の中、息子のディランが盗みを働いて学校を退学になり、ベンジャミン自身も、妻を亡くしたという同情で雇われているくらいなら辞めてやる、と上司に啖呵を切って、会社を退職する。
ベンジャミンは、心機一転をはかって郊外に引っ越すことを決意。
さまざまな物件を回り、ようやく気に入った家と出会う。
しかしその家は、閉園中の動物園付きの物件だった。
購入を諦めようとするベンジャミンだったが、動物と戯れる娘の笑顔を見て、動物園のオーナーになることを決心する。
そしてベンジャミンは、残っていたスタッフとともに動物園の営業再開に向けて乗り出すが、そこにはさまざまな困難が待ち受けていた。
感想
久々に、すごくいい映画と巡り会えた。
この「幸せへのキセキ」は、素直にそう言えるとても素晴らしい作品だった。
実話をもとにした作品らしく、舞台となった動物園は現在も営業中だという。
脚本、映像、俳優、音楽、それらすべてが高いレベルで融合した、とても見応えのある、そして安心して観ることができる作品である。
まず、マット・デイモンを筆頭に、スカーレット・ヨハンソンら動物園のスタッフから、名前すらないスーパーのレジ係のおばちゃんまで、すべての登場人物にしっかりとした背骨がある。
話自体はかなりすっきりしたものだが、役者がすごいので、物語に深みがあるのだ。
妻を亡くした家族の苦悩や、彼らを温かくも厳しく見守る動物園の飼育員らとの関係や、父と息子の確執と再生や、動物と人間の触れ合いや、さまざまなテーマが描かれているが、その中でももっとも大きなテーマは「死」であろうと思う。
妻の死から始まって、飼育している動物の死、息子ディランの描く死の世界の絵、常に死と隣り合わせの飼育員の仕事。
「死」というテーマが、淡々と、なお分厚く底に流れているからこそ、生活の中でのささやかな喜びや、動物たちのなーんにも考えていなさそうな平穏な日常が、とても輝いて見えるのだろうと思う。
正直言うと、泣いてしまった。
映画を観て泣くのは、久しぶりである。
前はいつ泣いたっけと、思い出そうとしても思い出せないほど久しぶりである。
だが、映画館で泣くのはちょっと恥ずかしい。
特に、鼻をすするときが恥ずかしい。
そりゃあ、私だってひとりのときは臆面もなく泣くだろうが、隣に映画部員がいるとなると、話は違う。泣いているのがばれるのはやはり気恥ずかしいのである。
と思っていたら、夫人を挟んで並んでいたK部員が、臆面もなく泣いていた。
素晴らしい。
恥ずかしくて泣けない、という私の懊悩を、そんなのくだらない見栄だと笑い飛ばされた気がした。
泣いているのに笑い飛ばすとはこれ如何に、とは思うが。
よく泣く男だな、とも思うが。
とまれ、K氏によって枷を外された私は、彼に倣って臆面もなく泣いた。
ぐすぐす泣くおっさんふたりに挟まれて、K夫人もさぞかし迷惑であっただろうと思われる。
まことに申し訳ございません。
先にも書いたとおり、役者陣がみな実力派ですごいのだが、その中でも際立っていたのが、ベンジャミンの娘、ロジーを演じた、マギー・エリザベス・ジョーンズという子役の女の子だった。
もう、この子がさ。
すげえかわいい。
すげえかわいいのだ。
すげえかわいいのだよ。
年甲斐もなく、私はこの子にきゅんきゅんしてしまった。
いや、だからといって決してロリコンじゃないぞ。
どちらかというと熟女好きだぞ。(何を告白しているのだ)
そういえば、映画を見終わったあと、「幸せへのキセキ」というタイトルに関して、K夫人が、「キセキ」とカタカナなのは、「奇跡」と「軌跡」をかけているのだろうか、というスルドい意見を述べられた。
ロジーのかわいさにぼへーっとなっていた私は、その言葉を聞いてはっとなった。
確かにそうかも知れない。
そういうところに気が付く感性は見習いたい。
そういえば、原題は何というのだろう。
調べてみた。
すると原題は、「We bought a Zoo」というものだった。
つまり、「私たちは動物園を買った」である。
……。
……。
……。
素晴らしい邦題を付けてくれた方に感謝である。