べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

佐野元春


 自分で「Favorite」というカテゴリーを作っておいて、すっかり忘れていた。
 好きなアーティストを紹介していければいいなと、ブログを立ち上げたときに思っていたのだった。

 ということで、Favoriteカテゴリで栄えある第一回に紹介するのは、言わずと知れた日本ロック界の雄、偉大なるソングライターにしてポップシンガー、佐野元春(敬称略)である。
 私にとって佐野元春は、単なる大好きなミュージシャンというだけに留まらず、人生の師であり、道しるべである。
 彼がいなければ、私という人間はもう少し違うものになっていたかも知れないとさえ思う。
 これほどまでに深い影響を与えてくれる存在に出会えたというのは、幸運以上の僥倖である。

 私が初めて佐野元春を知ったのは、私がまだ小学生のころ、確か五年生のときだった。
 そのとき私は、レンタルレコード屋さんで、当時発売されたばかりだった佐野元春の「SOMEDAY」というアルバムを、偶然借りたのである。
 小五で佐野元春を聴こうとは相当マセたガキだが、案の定、このときは聴いてもピンとこなかった。
 一応カセットテープに録音はしたが、それきり忘れてしまっていた。

 その佐野元春と再会を果たしたのは、私が高校二年のときであった。
 当時、私は美術部に所属しており、絵を描かない美術部員として名を馳せていたのだが、そこへ、写真部の部長から勧誘を受けた。
 部員がひとりしかおらず、このままでは廃部になってしまうので、名前を貸してくれるだけでもいいから籍を置いて欲しいと頼まれたのである。
 その頼みごとを「いいよ」と何も考えずに私は快諾した。
 私が町の写真屋の小倅だからという理由で声をかけてくる写真部の部長も安易だが、それに軽く乗ってしまう私もかなり安易である。
 思春期なんだから、もうちょっと何かこう、親に対する反発心とかで、カメラなんて触りたくもない、とか、写真なんかくだらない、とか、そういう頑なな悩みを持って無駄に反抗したりするのが青春なんじゃないかと思うのだが、このときの私は、そんなことは一切なかった。
 まあ、幼かったのだろう。
 そうして写真部員になった私は、せっかく籍を置いているのだからと、写真部の部室にも顔を出すようになった。
 そこでカメラに触れたり、暗室作業を手伝ったりしているうちに、いつの間にか、自分でも写真を撮ったり、自前のカメラを買ったりするようになり、しまいには、撮影旅行で京都まで行ったりするようになってしまった。
 つまり、まんまとはまってしまったのである。
 そして私は、部長よりも足繁く部室に足を運び、自分の作品を作ることに没頭した。
 個人的には、撮影よりも暗室作業の方が好きだった。
 自分の撮った写真が、印画紙に像となって浮かび上がってくる瞬間は、言いようもないほど楽しいものだった。
 しかし、ひとりで暗室にこもっていると、どうしても寂しくなる。
 暗くて狭くて臭い(私が臭いのではない。薬品が臭いのだ)部屋に、何時間もひとりきりでいると、気持ちが滅入ってくるのである。
 そこで私は、暗室内にラジカセを持ち込み、音楽を聴きながら作業することにした。
 このときふと目について手に取ったのが、小学生のとき録音してそのままになっていた、佐野元春のカセットテープだったのだ。
 ようやく佐野元春が出てきたよ。
 前置きが長いよ。
 自分でも何の話だったか忘れてたよ。

 久しぶりに――というよりこのときの私には初めてに等しかったのだが――聴いた佐野元春の歌は、衝撃的だった。
 ガツンと頭を殴られたような気がした。
 脳髄がびりびりと痺れ、心臓の鼓動が一気に高まった。
 全身に鳥肌が立ち、知らずに涙が溢れた。
 私は一瞬にして佐野元春に取り込まれ、心を奪われたのだった。
 それはまさに、電気的啓示と呼ぶに相応しい、圧倒的で感動的な経験だった。
 それから私は、彼の作品を買い漁った。
 そして暗室で聴きまくった。
 すぐに歌詞を覚え、一緒に歌うようになった。
 暗室でひとり作業をしながら佐野元春を熱唱している男。
 今考えれば不気味である。
 事実、放課後、三階の理科準備室の辺り(暗室はそこにあったのだ)から怪しげな歌声が聞こえる、ロックシンガーになる夢が破れて屋上から飛び降りて死んだ生徒の霊の仕業に違いないと、ありもしない怪談が広まったほどであった。
 ちなみに、私が高校三年になったとき、写真部にも新入部員が入ってきた。
 なんと、女の子がふたりである。
 写真部なんて暗い部活(失礼)に女の子が入部してくるなんて考えられない、と私と部長は諸手を挙げて大歓迎したのだが、そのふたりのせいで、くだんの怪談の原因が私であることがばれ、大恥をかいてしまうことになるのは内緒である。
 さらにちなみに、ある日私が部室に行くと、ドアに「慢才研究会」と書かれた紙がでかでかと貼り付けてあった。
 ふたりの新入部員は、写真部を乗っ取って違う部活を立ち上げようと企んでいたのである。
「まあ好きにすればいいけど」私は呆れながら言った。「マンザイのマンの字を間違えているぞ。りっしんべんじゃなくさんずいへんだ」
 私のツッコミに、ふたりの女の子が顔を真っ赤にしたのはいい思い出である。

 ということで、私の青春を支え、今もなお私の心を捕らえて離さない佐野元春なのだが、ここでひとつ、数ある彼の楽曲の中から、何曲か紹介させてもらおう。
 佐野元春と言えば、「SOMEDAY」や「約束の橋」や「ジャスミンガール」などが有名である。しかし、そんな誰もが知っている曲は紹介しないぜ。あえてマイナーな曲を選んで通ぶっちゃうぜ。
 彼は素晴らしいロックミュージシャンでありポップシンガーだが、その前に、偉大な詩人である。
 それを証明する曲を二曲、紹介させていただく。

「ベルネーズソース」

「何が俺達を狂わせるのか?」

「優れた音楽は私を移動させる」とは佐野元春の言だが、これを聴いたあなたも、元春とともにどこかへ「移動」すればいいじゃない。