べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

「裏切りのサーカス」鑑賞


裏切りのサーカス
監督 トーマス・アルフレッドソン  出演 ゲイリー・オールドマン コリン・ファース トム・ハーディ など

 あらすじ
 東西冷戦時、英国諜報部には「サーカス」と呼ばれるスパイ組織があった。
 その「サーカス」のリーダー、通称コントロールトム・ハーディ)は、組織内に「もぐら」と呼ばれるソ連との二重スパイがいることを掴み、彼の情報を握っているというハンガリーの将軍と接触するため、工作員のジョンをブダペストへ送り込む。が、ジョンは何者かに撃たれ、作戦は失敗、コントロールは、右腕だったジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)とともに、組織を追われる。
 その直後、コントロールが何者かに殺される。「もぐら」の脅威を悟った政府は、スマイリーを組織に復帰させ、二重スパイの正体を暴けと命令する。「もぐら」として怪しいのは、「サーカス」の四人の幹部。スマイリーは緻密な調査から、その正体に徐々に迫っていくが……。

 感想
 プロフェッショナルを扱った作品などでは、しばしば「余計なことを考えず、任務を遂行することだけに集中しろ。それがプロだ」とか、「感情を殺すことを学べ。疑問を持つな。与えられた仕事をこなすための機械になれ」とか、「迷うな。迷いは弱さに通じ、それはお前を滅ぼす」とか、「考えるな、感じろ」(これはちょっと違うか)とかという台詞が出てくる。
 それらは、プロフェッショナルとしての覚悟を説くものであろうし、また、プロとしてのプライドの表明でもあろう。
 確かにかっこいい言葉ではある。 
 しかし、私は以前から、そういった台詞を聞く度に、何か微かな違和感のようなものを覚えていた。
 その違和感の正体はいったいなんなのか。
 折りにつけ考えていたことが、この映画を観て少し分かったような気がする。
 それは、端的に言えば、「思考停止」に対する忌避だ。

 この映画はスパイを描いた作品である。
 原作者のジョン・ル・カレという人物は、元英国諜報員、つまり本物のスパイだったらしい。
 スパイ物といえば、007やミッション:インポッシブルなどが頭に浮かぶが、この作品はそれらと違って、派手なアクションも、最新の科学兵器も、世界の転覆を狙う悪の結社も、何もない。
 ただひたすら、組織内の裏切り者を捜しての地味な資料集めや、過去の記憶の反芻などが続くばかりである。
 しかし、その淡々とした空気感の中で描かれる人々の細やかな感情の機微が、英国の古い町並みの映像と合わさって、観る者に深い感慨を与える作品になっている。

 人間は、みなそれぞれになんらかの事情や問題、屈託を抱え、それらと折り合いを付けたり抵抗したりしつつ、足掻いて生きている。
 それは、スパイであっても例外ではない。
 スパイといえばプロ中のプロで、冷徹で狡猾、他人を利用するのに何の良心の呵責も覚えず、人間的な感情の一切を排する訓練を受けた特殊な人間、といったイメージがあるが、この作品に出てくるスパイたちは、そういったイメージからはまったくかけ離れている。
 彼らも、それぞれに悩み苦しみ、事情を抱え、誰かを愛し、ときに笑い、ときに絶望にうちひしがれ、しかし幸せを渇望してじりじり身悶えしながら生きている。
 彼らもまた、我々と同じ、弱さを持った人間なのである。

「命じられたことを完遂するのみの、機械のようなプロの姿」は、一面正しいとは思う。
 シンプルで、力強く、揺るがない。
 しかしそれは、他方から見れば、思考停止だ。
 ボタンの押せば餌が出てくる、だから俺は迷わずボタンを押すんだぜ、と得意げな顔をする猿に似ている、というのは言い過ぎだろうか。
 しかし私は、そこで得意げにボタンを押す猿よりは、何故ボタンを押せば餌が出てくるのか、ボタンを押すことで誰かが不利益を被ったりしないだろうか、と懊悩する猿の方が好ましい。
 懊悩する猿も、きっと最後はボタンを押すのだから、結果は同じといえば同じである。
 だが、「与えられたこの仕事は、正しいものなのだろうか」「自分がこの仕事をこなすことで、何か悪い結果に繋がることはないだろうか」「係わったすべてのひとが幸福になるような、最良の方法はないだろうか」「あのとき遂行したあの件は、もっと違うやりようがあったのではないか」そんな風に、いつまでもうじうじいじいじ悩み、苦しみ、身悶えし、七転八倒しながら、決して投げ出さない。
 それが、私の共感するプロである。
 そしてこの「裏切りのサーカス」という映画は、そんなプロの姿を描いた作品であった。
 ちなみに、主役のゲイリー・オールドマンは、この作品でアカデミー賞主演男優賞候補に選ばれている。
 その重厚にして繊細な演技は、まさに圧巻である。

 しかしこの映画、話は複雑だし登場人物も多いしで、いまいち内容はよく分かんなかった。もう一度観れば分かるのかなあ。もう一度観るのか……それはかなり疲れるなあ、という作品でもあった。とりあえず、パンフレットなどに事前に目を通して、顔と名前を覚えておいた方がいいかも知れない。デブでハゲのおっさん、というのが何人か出てくるが、それは記号として同じだろう、見分けがつかないぞ、とツッコミを入れたくなる。