べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

夜のウォーキングで遭遇したびっくりなこと


 秋も深まり、ようやく動ける季節になってきたので、夜のウォーキングを再開したのである。
 しかし、改めて見回してみると、ウォーキングしているひとがやたら多くなった。
 特に増えたのが、四、五人でぺちゃくちゃしゃべりながら歩いている、おばさま方の集団である。
 それで本当にダイエットになっているのかと心配になるが、まあ、余計なお世話であろう。
 それに、そんなに毎日よくしゃべることがあるな、とも思うが、それも余計なお世話か。
 ファミレスなどに陣取って駄弁っているよりは、多少なりとも健康的なのかも知れない。
 そして、そんなおばさま方と同じくらい多いのが、高そうなトレーニングウェアに身を包み、ひとりで黙々と歩いているおじさま方である。
 そういったおじさま方には、おばさま集団と違って、どこか哀愁が漂っている。
 健康診断では軒並みD判定を喰らったし、妻にはみっともないと言われるし、娘は口もきいてくれない、痩せないといけないとは分かっている、だけど、昼飯のラーメンとかカツ丼はやめられないんだよ、愛のない家庭、辛いばかりの仕事、そんな中で、唯一昼飯だけが私の人生の支えなんだよ、腹が多少突き出るくらい許してくれよ。とでも言いたげな、思い詰めたような表情をしている。
 そもそも、高そうなトレーニングウェアを着ている時点で、まず形から入らなければ気持ちを盛り上げることもできず、また、道具を揃えちゃったんだから使うしかないぞと自らを逃げ場のないところに追い込む、そういうことでしか動けない、そんな男の哀しいサガが垣間見える。
 涙を禁じ得ない。
 頑張ってくれ、と背中を思いっきり叩いてあげたい。
 それこそ余計なお世話であろうか。

 とまれ、ウォーキング人口が増えると、変なひとも増える。
 変なひとが増えると、変な事態も増える。
 ということで、ウォーキング中に私が遭遇した変なひとや変な事態を、いくつか書き留めておく。

 その一。
 それは、ある日のウォーキングの途次、広い通りから、街灯の少ない、細い路地に入ったときのことだった。
 曲がった途端、私は近くになに者かの気配を感じた。
 視線を巡らせると、私の右手の方向、暗い茂みの中に、男がひとりうずくまっていた。
 若い男である。
 かかとを地面につけたまましゃがむ、いわゆるうんこ座りの姿勢で、男はじっとこちらを見返していた。
「うおっ!」声を上げて、私は思わず足を止めた。
 生来から霊感というものがまったくなく、今まで心霊現象などには遭遇したことがなかったのだが、そんな私も、ついに幽霊を見てしまったのか。
 そんな感慨を覚えつつ、私はその男を凝視した。
 よく見ると、男は缶コーヒーを飲んでいた。
 ホットコーヒーなのだろう、飲み口からは白い湯気が立ち上っている。
 幽霊も缶コーヒーを飲むのだろうか。
 そんなことを思い、そして次の瞬間、私は男が人間であることにようやく気が付いた。
 私は高まった鼓動を抑え込みつつ、男から視線を外して歩き出した。
 男が幽霊でなかったことには、がっかりしたりほっと胸を撫で下ろしたりだが、それにしても、彼は何故あんな茂みの中で缶コーヒーを飲んでいたのだろうか。謎である。

 その二。
 ある日、街灯の少ない、暗くて細い路地を歩いていたとき、(暗くて細い路地が好きなのである)前方から、ひとりの中年のサラリーマンがこちらへ歩いてくるのが見えた。
 千鳥足で、背広も乱れている。
 明らかに酔っ払いである。
 ふらふらとよろけながら歩いていたその酔っ払いが、私の数メートル先で突然足を止め、真横の壁の方に体を向けた。
 そして両足を肩幅に開き、やおらズボンのファスナーを下げた。
 言わずもがな、放尿である。
 立ちションである。
 酔っ払いのおっさんの顔が幸せそうに弛緩し、股間から湯気が立った。
 おいおい、私は内心ツッコんだ。
 我慢できなくなったんだろうが、そんな堂々と外でするなよ。せめてこちらが通り過ぎてからにしてくれよ。
 立ちションをするおっさんに向かって、私は仕方なく歩を進めた。
 よほど溜まっていたのか、おっさんの小便はなかなか終わらない。
 その背後を通り過ぎようとした私は、しかしそこで、ぎょっとした。
 おっさんの足元には溝がなく、しかもその辺りの路面が、おっさんの背後の方に向かって僅かに傾斜していたのである。
 するとどういうことになるのか。
 おっさんの股間から放出された小便は、足元に溜まらず、おっさんの両足のあいだを通過して、狭い路地の地面に、一本の水の筋を作り出すことになるのである。
 目の前にできた小便の河に、私は思わずたじろいだ。
 このまま歩いて行くと、おっさんの小便を踏むことになる。
 それは嫌だ。
 どうしよう。
 背後がダメなら、おっさんと壁とのあいだの隙間をくぐり抜けるというのは……。いやいや、それはいくらなんでも非現実的すぎるだろう。なんでそんな、おっさんと顔が引っ付くほど狭いところを、わざわざ通らねばならないんだ? おっさんもびっくりするだろう。
 なら、おっさんが小便し終わるまで待つか?
 いやいや、こんな暗い路地で、立ちションをするおっさんを、じっと身じろぎもせず見ているなんて、そんな構図はいくらなんでもシュールすぎる。
 酔っ払いのおっさんに、ホモの強姦魔とかに間違われるなどということにでもなれば、やるせないにもほどがある。立ち直れない。
 となれば答えはひとつ、小便の河をまたいで越えるしかない。
 おっさんを刺激しないように(刺激すると小便を引っかけられる可能性があるからである)歩くペースを乱さず河をまたぎ、そのまま速やかにこの場を離脱するのだ。
 私はそう決心した。
 しかし現実は甘くはなかった。
 おっさんの、やむことを知らない長い小便によって、その背後へと流れ出る河の幅がみるみるうちに広がり、もはや、歩幅を広げてまたぐということでは対応しきれないほどの状況になっていたのである。
 すでにいっときの躊躇も許されなかった。
 私は意を決し、歩く速度を上げ、駆け足になった。
 勢いをつけ、大きくジャンプしようとしたのだ。
 だが、それが失敗だった。
 飛び越えようと焦るあまり、最初に注意していたはずの点、すなわち、おっさんを刺激しないという点を、失念してしまっていたのである。
 私の突然の行動に、おっさんがびくっと肩を震わせて、驚いてこちらを振り向いた。
 股間から小便を放ちつつ、である。
 すでに往時の勢いは失われていたとはいえ、放物線を描いて放たれるその液体は、おっさんの体の動きに合わせて、必然的にこちらへ向かって伸びてきた。
 そして、地面に跳ねて私の左足の靴に命中した。
「にゃっ!」ジャンプしつつ、私はそのような妙な叫び声を上げたように記憶している。
 着地したあと、私はすかさず振り向いておっさんを睨みつけた。
 しかし当のおっさんは、なに食わぬ顔をしてイチモツをしまい、私に背を向けて去って行った。
 暗闇に消えるおっさんの背中を呆然と見送ったあと、私は「ちくしょう、なんなんだよ」と力なく呟きながら靴を脱ぎ、裸足で家路についた。

 その三
 私のいつも通るウォーキングのルート上に、犬がいる家がある。
 柴犬である。
 玄関の手前の駐車スペースの一角に、立派な犬小屋をこしらえてもらっており、いつもその中にいる。
 私が通りがかる時間帯には、眠っていることが多い。
 が、たまに起きていると、私は彼(勝手にオスと決めつけた)に「こんばんは」と声をかける。
 すると向こうも、ぷるぷると尻尾を二、三度振って応えてくれる。
 名前も知らず、立ち止まって話をすることもないが、顔を合わせるとほんのりとした空気を交換し合えるというような、美しい距離感を保った付き合いだった。
 何週間か前、その犬小屋の屋根に、「お腹を壊しているので、食べ物を与えないでください」との張り紙が貼ってあるのを発見した。
 おそらく、近所のひとが、勝手に彼に餌をあげているのだろう。
 かわいさのあまりそうしたくなる気持ちは分かるが、やはりひとさまの犬に勝手に餌を与えるのはよくない。
 名も知らぬ犬は、張り紙の貼られた犬小屋の中で、ぐったりと横たわっていた。
 そんな日が、幾日続いただろうか。
 私は、横たわる彼の姿を見る度に、早く元気になって欲しいと祈った。
 当事者ではない、ただの通りすがりの私には、祈ることしかできなかったのだ。
 するとある日、犬小屋から張り紙が消えていた。
 よかった。
 忠告が功を奏し、お腹の具合もよくなったのだろう。
 私はほっとひと安心し、眠る犬にひとつ頷きを送ってその場を通り過ぎた。
 しかしその翌日、犬がいなくなっていた。
 それも、犬小屋ごと。
 このとき以来、犬の姿を見かけることはなく、犬小屋が元の位置に戻されることもない。
 がらんと空いたその家の駐車スペースを見る度に、頭に浮かんでくる嫌な想像を、私はいつも必死に打ち消す。
 たぶん、玄関の中とかに居場所を移されただけだよ。ほら、最近寒くなってきたし、彼も若くはなさそうだったしな。ひょっとしたら、近所のひとがいくら言ってもしつこく餌を与えていたのかも知れないし。大丈夫。大丈夫だ。きっと幸せに暮らしているはずだ。
 私はいつもそう自分に言い聞かせる。
 そして、暖かい部屋の中で、飼い主と幸せそうに戯れている彼の姿を想像する。
 ただの通りすがりでしかない私には、そう祈ることしかできないのだ。
 だから祈っている。
 どうかご無事で。
 どうか幸せに。