「最強のふたり」鑑賞
「最強のふたり」
監督 エリック・トレダノ 、 オリヴィエ・ナカシュ
出演 フランソワ・クリュゼ オマール・シー アンヌ・ル・ニ など
あらすじ
スラム街に住む黒人青年ドリス(オマール・シー)は、失業保険を受け取る際に必要な、就職活動をしているという名目が欲しいだけのために、フィリップ(フランソワ・クリュゼ)という大富豪の介護人を選ぶ面接を受ける。
働くつもりなどさらさらないドリスは、とりあえず書類にサインをしてくれるだけでいいと、ぞんざいな態度でフィリップに頼む。
翌日、書類を受け取るために再びフィリップの邸宅を訪れたドリスは、そこでフィリップから、私の介護をしてみないかと誘われる。フィリップはパラグライダーの事故で頸椎を損傷し、全身麻痺の状態だった。
家を追い出されていたドリスは、その仕事を引き受ける。
生まれ育ちや趣味や、何もかもがまったく正反対のふたりだったが、ともに時間を過ごすことで、不思議な友情が芽生え始める。
感想
素晴らしい映画を観た。
この「最強のふたり」という作品は、今年観た中では三本の指に入るかも知れない。
他は何かといえば「幸せへのキセキ」「裏切りのサーカス」「鍵泥棒のメソッド」ぐらいだろうか。あれ? 四本になってしまった。
とまれ、まず映像が美しい。
冬のパリの町並みや、通りを行き交う人々、豪奢で洗練されたフィリップの邸宅、映し出される風景のすべてが美しい。スラムの片隅で夜な夜な駄弁っているチンピラまでが、何故かおしゃれに見えるほどである。
その美しい映像の中、物語もゆったりと静かに、淡々と進んでいく、と思いきや、わりとテンション高めに、わーっと突き進む。
まったく違う環境で暮らしてきたふたりの男が、相手とのギャップに驚きながらも、徐々に心を通わせ、やがて強い絆で結ばれていくというその過程が、全然湿っぽくなく、むしろさばさばとした雰囲気で、テンポよく描かれていくのである。
そのさばさばとした感じが、決して表には出さず、べたべたしないが、しかし深いところでは確かに、強く繋がっているという、まさに「男の友情」の形と、とてもよく合っている。
この感じ、女性には分かるのだろうか?
分っかるかなあ、分っかんねえだろうなあ。
俺が昔夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さん胸やけで、母さん霜やけだった。
松鶴家千とせのギャグなんて、古すぎてそれこそ誰も分からないだろ。
作中、フィリップが親戚から、ドリスはやめた方がいいと説得されるシーンがある。
そこでフィリップが言う。
「ドリスは容赦がない。そこがいい。彼は私のことを障害者として扱わないし、同情もしていない」
このセリフが、とても印象的である。
おそらくフィリップは、自分が金持ちであるというだけで尻尾を振って寄ってくる、おべんちゃらばかりの連中に、飽き飽きしていたのだろう。だからこそ、ドリスの飾らない真正直さが気に入ったのだ。
一方ドリスも、フィリップと毎日接していく中で、彼の孤独や苦悩に気付き、共感し、少しずつ成長していく。
全然お涙頂戴ではなく、むしろ笑ってしまうシーンの方が多いくらいなのだが、ぐっとくる作品なのだ。
涙が溢れるというのではなく、鼻頭が熱くなって、胸にじわりと温かいものが滲み出てくる感じなのである。
分っかるかなあ、分っかんねえだろうなあ。
私も物書きの端くれなんだから、分かるように伝えなさいよということなのだが。
ちなみに、この作品は実話を元に作られており、主役のふたりも実在する。
エンドロールに少しだけ本人たちが登場するのだが、ドリスがフィリップにぞんざいにタバコを吸わせる様子が、とてもいい。ホントにそんな感じなんだなと笑ってしまう。
フィリップは現在、モロッコに住んでおり、ドリスは会社を経営しているという。
そして、ふたりの友情は、変わることなく続いているらしい。
とてもいい。
しかし、ひとつだけ引っかかることがある。
「最強のふたり」という邦題である。
フランス語の原題は「Intouchables」(触れ合えない人々)で、ドイツで公開された際には、「Ziemlich beste Freunde」 (結構なふたり)というタイトルだったらしい。
確かに、「触れ合えない人々」では意味不明だし、「結構なふたり」も何かしっくりこないけれど、だからといって「最強のふたり」もないだろうと思う。
もっといいタイトルがあったはずである。
いや、じゃあ代わりに付けろと言われてもできないのだが。
そもそもタイトルを付けるのが苦手で、自分の作品ですら思いつかないことが多いのだが。
しかし、あえて言わせていただくと、やっぱり、もっとこう、何ていうか、あっさりしているんだけど強い響きを持つというような、この作品のよさを端的に著す言葉がいい。
分っかるかなあ、分っかんねえだろうなあ。