べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

映画部&姫路城見物


 あけましておめでとうございます。
 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 ということで、記事にするのがずるずる遅れてしまったのだが、昨年末の活動報告である。
 あれはクリスマスイヴを前日に控えた、12月23日のことだった。
 私には例年のごとく、イヴも、クリスマス当日も、何の予定もなかった。
 ゆえに例年のごとく、クリスマスなんてなかったことのようにしてするっとスルー(ダジャレですよ)してしまおうと考えていたのだが、いや、やはりそれでは寂しすぎる、と思い直した。
 何故そう思い直したのか、今となっては謎であるが、とにかくそのときは、せっかくだからどこかに出かけたいと思ったのである。
 そして思いついたのが、映画部を開こう、ということだった。
 クリスマスに乗っかろうというのに、映画部を開いてしまうのは、なんかもういろいろダメである。
 長いあいだクリスマスに縁がなかったせいで、楽しみ方を忘れてしまっているのであろう。
 我ながら情けないことである。
 そしていつもの部員に連絡を取った。
 せめてそこで断ってくれれば私もプランを練り直したはずなのに、部員は快く承諾してくれてしまった。
 暇な部員たちである。
 自分で誘っておいてその言い種はなんだと思うが、世間のクリスマスムードに気持ちがささくれ立っていたので、仕方がないのである。
 ということで、姫路の映画館に行くことになり、どうせ姫路に行くのなら、姫路城も見物しようという話になる。
 現在姫路城は、平成の大改修と銘打ち、天守閣の大々的な補修工事が行われているのである。
 そしてその期間中、工事の様子を見物できるようになっているのだ。
 前々から行きたいとは思いつつ、なかなか足を運べずにいたところだったのだが、クリスマス直前だし、せっかくだから行くか、となったのである。
「クリスマス」と、「せっかく」と、「姫路城」は、今にして思えばまったく繋がらないのだが、このときは何の疑問もなく繋がってしまった。クリスマスのマジックなのだろうか。恐るべしクリスマスである。

 そして当日、昼過ぎに姫路城に到着。
 壕にかけられた橋を渡り、門をくぐって城内へ入る。
 驚いたことに、けっこうひとがいる。
「クリスマス」と「せっかく」と「姫路城」を結びつけてしまったのは我々だけではなかったのだと、ちょっと安心する。
 城内の一画では、工事期間中の特別展示として、鬼瓦や甲冑が公開されている場所があった。
 圧巻である。
 特に、暗い部屋にずらりと並べられた甲冑の展示には、はっと息を飲むほどの迫力がある。


 甲冑の展示 暗くて分かりづらいが、かっこいい

 そしてお目当ての天守閣へ向かう。
 天守閣にはぐるりとテントが張り巡られており、その中へ入って見物する。
 この施設は「天空の白鷺」と名付けられてる。
 要は、足場を拡張させて見物客のスペースを確保しているという形の簡易の建屋なのだが、それが存外立派な作りになっている。
 エレベーターで最上階の八階まで上がり、そこと一階下の七階、そして一階が見物できる。
 まずは八階。
 ここでは天守閣の一番上の屋根が見える。
 すでに修繕は終わっており、真新しい瓦が整然と塗り固められている。
 なんとも不思議な光景であった。
 天守閣の屋根なんて、通常では決して見ることのできないものである。
 それを真横から眺められるのだ。
 見物客は、ピーク時に比べれば格段に少ないのだろうが、しかしそれでも、ガラスで仕切られた見物スペースには溢れるほどいた。
 その中のひとりの男性客、七十がらみと思しき老人が、案内嬢に質問しているのが聞こえた。
「ここが最上階? これより上はないの?」
「はい。ここが最上階となります」
「じゃあここの屋根は見られへんのか?」
「城の屋根はあちらから見られますが……」
「いや、城の屋根やのうて……んん? 城の屋根? なんで城の屋根が……? んん? どういうこと?」
 老人はそこで、ちょっとした混乱状態に陥ってしまったようだった。
 おそらくその老人は、城の中から外を見物するものだと思い込んでいたのではないだろうか。
 見物スペースがあまりに立派なため、ここが城内ではなく外だと気付かなかったのだ。
 思い描いていた光景と、目の前に広がる光景のギャップに、さぞかし困惑しただろう。
 きっと、改修された屋根を見ても、何だあれは? 城の模型か? なんでこんなところまできて模型を見なきゃならんのだ? などと思ったに違いない。きれいすぎる瓦の輝きが、余計模型っぽさを醸し出していただろうし。
 困惑する老人を見て、笑おうと思ったが、笑えなかった。
 実は私も、少々混乱していたのだ。
 混乱の一番の原因は、「中なのに外」、あるいは「外なのに中」という特殊な環境のせいであろう。
 我々がいるのは、「城の外」である。しかし、その「城の外」を「室内」から覗いているのだ。
 そしてさらに、「外であるはずの城」自体が、天幕によって覆われ、「中」にあるのである。
 んん? 何だ? どういうことだ? いったいここはどこなのだ? 私は「中」にいるのか、「外」にいるのか、どっちなのだ? ここは「中の外」か? それとも「外の中」か? そんな言葉遊びをしている場合なのか? ひょっとしてこれは、私という主体をどこに置くかという問いではなかろうか? いや、そんな哲学的な命題を思いついている場合でもないだろう。と、老人ではなくとも多少わけが分からなくなるのは否めない。うむ。決して私の判断能力や状況把握能力が劣っているわけではない。そうだ。きっとそうに違いない。
 おそらく、今までの見物客の中にも、私やその老人と同じような混乱に陥ったひとは、少なからずいるに違いない。たぶんいると思う。いるんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。(さだまさし「関白宣言」より。関白と城とで絡められるかなと思ったのだ。姫路城は関白秀吉のゆかりの城でもあるし。って説明している時点ですでにギャグとして失敗しているだろ) 

 

八階から眺める天守閣の屋根

 それから七階へ降り、再びエレベーターで一階へ。
 一階には、過去に行われた修繕の様子が展示されていた。
 その中で、「昭和の大改修」と銘打たれた記事が目についた。
 それは今回と同じく天守閣の補修工事の記事だったのだが、そのときは現代のように巨大なクレーンで足場を組むということができなかったのだろう、天守閣までに土を盛り、長ーーいスロープを作ってそれを足場にするという方法を採っていたのだ。
 すごい。
 ピラミッドの建築風景みたい。
 その光景もさることながら、そこで使われた労力の果てしなさに、私はしばし呆然とした。
 文化を守るということは、すなわち歴史を守るということであろう。
 そして歴史を守るということは、誇りを守るということに繋がるのではなかろうか。
 いや、だからといって、誇りを守るために文化を守らねばならない、などと重く受け止める必要は全然ない。
 むしろ、今回の我々のように、ちょっと寄ってみるか、というような軽い気持ちで文化に触れられる、そういう状態に常にある、ということこそが、守るべき誇りを育むのかもしれない。
 などということを思ったりした。

 鼻がつーんとなり、自然に涙がたまるほど寒い冬の姫路城であったが、きてよかったと素直に思える、いい体験であった。


「天空の白鷺」を「外」より

 この日は続いて映画部も開かれたわけだが、長くなるのでそれはまた項を改めて。