べっちょない日々

作家の末席を汚しつつ、しぶとく居座る浅田靖丸のブログ

「風立ちぬ」鑑賞


風立ちぬ
 監督 宮崎駿 声優 庵野秀明 瀧本美織 西島秀俊 など

 あらすじ
 舞台は第二次世界大戦前夜の日本。
 少年の頃から飛行機に憧れを抱き、設計士になるために東京の大学に進学していた主人公、堀越二郎は、在学中に関東大震災に遭遇し、そこでひとりの女性を助ける。
 それから数年後、二郎は晴れて航空技術者として就職し、飛行機の設計に明け暮れていた。
 会社からの辞令で、ドイツを始め、ヨーロッパの各国を巡行した二郎は、帰国後一台の飛行機の設計を任される。しかし、二郎の設計した飛行機は、試験飛行で事故を起こす。
 失意の中、休暇を兼ねて、とある避暑地へ向かった二郎は、そこでひとりの女性と出会う。
 菜穂子というその女性は、偶然にも、関東大震災の際、二郎が助けた人物だった。
 ふたりはすぐに恋に落ちる。
 菜穂子は結核を患っており、療養にきていたのだが、その事実を知っても二郎の気持ちは変わらず、ふたりは婚約する。
 菜穂子の病状は悪化の一方を辿り、サナトリウムに入院することになる。 
 しかしある日、菜穂子はサナトリウムを抜け出し、二郎のいる東京へと向かう。
 報せを受け、駅へと菜穂子を探しにきていた二郎と出会えた菜穂子は、そのまま二郎が寄宿する上司の屋敷に落ち着き、上司の立ち会いのもと祝言を挙げる。
 それからふたりの、慎ましくも深い思いやりに満ちた生活が始まる。

 感想
 久しぶりの映画部は、ジブリの最新作である「風立ちぬ」の鑑賞と相成った。
 今、何かと話題の作品である。
 しかし取り沙汰される話題と言えば、喫煙シーンが多いことに日本禁煙学会がクレームを出したとか、そのクレームに今度は喫煙文化研究会がクレームをつけ返したとかといったような、どこか見当違いなものばかりで、それがとても残念である。
 見当違いと言えば、どこぞの国が、「右翼映画」「軍国主義映画」と批判して、上映するだのしないだのと大騒ぎをしているようだが、(9/5からの公開が決定したようである)、この作品は、特に右翼思想をはらんでいるわけではなく、ましてや戦争を賛美しているわけでもない。
 どちらかといえば、戦争物というより純愛物である。
 そして純愛物として、この作品はかなり質の高いものである。
 まず、押しつけがましくない。
 若さ故か、二郎と菜穂子の愛は、とても情熱的で、ややもすれば暴走しがちな愛だが、それを描き出す手法が、とても静謐で、穏やかなのである。
 そのため、安直でお涙頂戴的な、強引に感動を押しつけてくるような作品にはなっていない。
 美しい情景とともに、ふたりのたくましくも純粋な愛が、あくまでも淡々と描かれているのである。
 それが素晴らしい。
 空をゆく飛行機の疾走感や、関東大震災の描写などは、さすが宮崎駿と感嘆するものであるし、登場するひとびとがみな、厳しくも優しい、誇り高い人物ばかりであることにも、ぐっとくる。
 日本禁煙学会がクレームを付けるタバコというアイテムも、とても重要な意味合いを持っている。そこを削ると、とても薄っぺらい作品になるように思う。

 正直、私は泣いた。
 私の隣では、部員のK氏も泣いていた。
 毎度のことながら、いい年をしたおっさんふたりがぐすぐすと嗚咽を漏らす姿は、思い返すととてもみっともない。
 見苦しい。
 恥ずかしい。
 馬鹿じゃねえの。
 そこまで言われる筋合いはない。
 後日、冷静になってよくよく考えてみれば、菜穂子は世間知らずでわがままなお嬢様のようにも思えてくるし、二郎だってずいぶんと身勝手で強引な男に見えてくる。
 そもそも、結婚したとはいえ、ふたりは夫婦になったとは言い難いところがある。
 熱愛中の恋人の域を脱していないというか、身を焦がす恋の炎にうなされている状態のままというか、平たく言えば、ずっとラブラブなのである。
 だから、屁が臭いとか、食事の行儀が悪いとか、洗濯物を脱ぎ散らかすとか、そういう些細なことで喧嘩をしないし、ましてや「結局君は、俺のことを見下しているんだよな」などと言い出して離婚を切り出したりしない。誰のことだ? うう。
 結局二郎と菜穂子は、いつまでも恋人同士のままなのだ。
 そしてその恋は、凄まじい情熱と努力と忍耐と覚悟によって支えられているのだ。
 そこに吾々は涙するのである。
 多少身勝手に見えるのも致し方ないし、看過するべきであろう。
 いや、恋とはすべからく身勝手なものなのかも知れない。

 と格好をつけてみたところで、そういう恋とはとんと縁遠くなっている。
 ううむ。