久しぶりのライブ
昨日の6月24日、西脇ライオンズクラブのパーティにバンドとしてお呼びいただき、ライブをしてきたのである。
ドラムを担当する小山氏はライオンズのメンバーでもあり、それが縁で声をかけていただいたのだが、正直、そういった身内のパーティに部外者として参加させてもらうのは初めてのことだったので、不安で一杯であった。
しかし、いざ本番が始まると、そんな不安はぶっ飛んだ。
ノリノリで一緒に歌ってくれる人がいるかと思えば、ステージに上がってきて踊り出す人までいて、想像していた以上の大盛り上がりを呈したのだった。
年齢層に合わせて、オールディーズを選曲したのが功を奏したのだろうか。
あるいは、すでにかなり酒が進んでいたので、誰がなにをやっても同じくらい盛り上がったのか。
盛り上がった原因はさまざまにあるだろうが、一番の原因は、やはりライオンズクラブのメンバーの方々の、繋がりの強さがあってこそのものであろう。
みなのはしゃぎっぷりは、子どものようであった。
盛り上がりすぎて、逆にこちらがドン引き恐縮したほどであった。
あんなに楽しそうな笑顔が見られるなら、我々の拙い演奏も、少しは役に立っているのではないかと思えるほどであったのだ。
まあ、演奏は拙かったのだが。
それはこの際、よしとしようではないか。
いや、よしとせねばならぬのだよ。
人に与えられたもっとも崇高な権利とは、赦すという権利であるからであるぞ。
人は己れの都合のいいように記憶を改ざんすると言うが、それのどこがいけないんだ?
改ざんしなければやっていけないということもあるでしょうが!
前を向いて歩いていくためには、己れを騙し、見て見ぬふりをせねばならないこともあるでしょうよ!
……そんなにまずい演奏だったのか?
ともあれ、お声をかけてくださったライオンズクラブのみなさま、ありがとうございました。
続 散歩のせい
近所の八幡神社までの散歩、私にとっては珍しく、まだ続いているのである。
雨の日と宿酔いの日以外は、であるが。
うん? 「雨の日と宿酔いの日以外は」って、なんかカーペンターズの歌のタイトルみたいじゃね?
ああ、あれは「雨の日と月曜日は」だった。全然違った。ごめんなさい。
先日、いつものように八幡神社に行くと、社殿内でお宮参りが行われていた。
若い夫婦と初着にくるまれた小さな赤ちゃん、そしてご両親。
みな幸せそうである。
すでに儀式は終わっていて、宮司と談笑したり、写真を撮ったりしている。
私は、邪魔しないようにと、社殿の手前で足を止め、しばらく待っていた。
するとそれに気が付いた宮司が、私を手で招いて参拝を促してきた。
「すみません。ではちょっと失礼して」頭を下げながら賽銭箱の前に立ち、ジーンズのポケットから小銭入れを取り出して、中を見る。
と、そこで私は困惑した。
小銭入れの中には、百円玉が四枚と、一円玉が三枚しかなかったのである。
四百三円。
4 3。
シ ミ、だな。
シミと言えば、私の右頬に大きなシミがいつの間にかできていて、最近気になってきているのであるが、そんなことは関係ない。
どうしよう?
一瞬の逡巡の末、私はそっと硬貨を手の中に隠し持ち、できるだけ社殿の中にいる方々には見せないようにして、それを賽銭箱の中に放り投げた。
しかしあれだね。
一円玉は音が軽いね。
アルミだからかね。
そして、宮司とお宮参りの客は、その一円玉をしっかり見ていた。
「ああ、違うんです、違うんですよ。いつもは十円とか五十円とか、たまに五円のときもありますけど、それくらいの額は入れているんです。今日はほら、たまたま百円と一円しかなかったもんですから。ね? 分かりますよね? それなら百円を入れればいいじゃないとお思いかも知れませんが、百円はなんか違うじゃないですか。百円となると、なんか、必要以上の覚悟を強いられたりするじゃないですか。それに百円だと、みなさんの前でなんか格好をつけているみたいな感じになったりするかも知れないでしょ? だからですね、恥を忍んで、一円にさせてもらったんです。他の硬貨を持っていたら迷わずそれを投げてましたよ。本当ですよ。信じてください」
宮司と参拝客に、そんな風に申し開きしたかった。
しかし、そんなことをしたらさらに変なひとと思われるだけだと、ものすごく我慢した。
そして私は、参拝もそこそこに、逃げるように神社をあとにしたのである。
ああ、もう、恥ずかしかった。
こういった場合、どうすればいいんだろうか。
散歩のせい
最近、朝に散歩を始めたせいか、夜になるとものすごく眠たくなる。
それも十二時を越えると、途端にダメである。
以前はそんなことはなかった。
三時でも四時でも、好きな時間まで起きていられた。
そんな日々が、まるで夢のようである。
決して加齢のせいではない。
散歩のせいである。
だって、散歩を始める前は普通に夜更かしできてたんだかんな、本当だぞ。
そうでなければこの春の陽気のせいである。
繰り返すが、断じて加齢のせいではない。
腹がますます出っ張ってきたのも、顎の下にうっすら肉が付き始めたのも、すべて加齢のせいではなく、散歩のせいなのである。
散歩のせいにするったらするのである。
とまれ、散歩の目的地は、近所の八幡神社である。
片道十五分、往復で三十分というところだろうか。
運動不足の私にはちょうどよい距離である。
神社へのお参りは本来午前中にするべきだというのを、以前どこかで聞いたことがある……ような気がする……かどうかも定かではないが、そんなようなことを小耳に挟んだ……ような気がする……(無限ループ)ので、なるべく午前中に参るように心がけている。
先日などは、私が手を合わせて願いごとをした瞬間に、町に正午を知らせるチャイムが鳴り響いた。
危ないところだった。
九死に一生を得た。(そこまでのことではない)
ちなみにそのときの願いごとは、「楽して暮らしていきたいのでよろしくお願いします」であった。
なんかもういろいろダメなような気がするが、現世利益とはそういうものだからいいのである。(いいのか?)
しかし、ベッドに入る前に眠気に襲われる、というのは、ここ数年経験していないことだった。
いつもは酔っ払って倒れるように寝るか、そうでないときは本を読みつつうつらうつらするのを待つかの二択ぐらいであったのだ。
我ながら、健全になったものである。
繰り返すが、決して加齢のせいではない。
その証拠に、あえて散歩をしなかった日は、夜まったく眠くならず、夜更かししてしまうのである。
散歩しなかったと言っても、それはサボったわけではない。
散歩をしなければ夜どうなるか、という実験をしただけのことである。
実験の結果、散歩をしなかった日は眠くならなかった。
やはり散歩と眠気は連動しているのである。
それが分かっただけでも、サボった甲斐はあったのである。
この実験は、統計学であり帰納法でありアウフヘーベンされなければならない命題である。(なにを言っているか分からないだろうか。大丈夫。私もなにを言っているか分からない)
つまり、これからもちょくちょく散歩をサボって、その結果を確かめていかねばなるまいということである。
実験であるから、くれぐれもサボっていると先生に言いつけたりしないように。(先生って誰だよ)
パソコンのセッティング
WindowsXPのサポートが終了するということで、パソコンを買った。
Windows7だぜー。
意味なくデュアルディスプレイにしてやるぜー。
と盛り上がっていたのだが、いざ現物が届くと、急に面倒臭くなった。
とりあえず、机の上の山積みの本を片付けて、データのバックアップを取って移行して、あ、ネット関係のIDやらパスワードも用意しないとな、メモリを足したほうがいいのか? グラボはどうする? みたいなことをいろいろ考えているあいだに、すっかり気持ちが萎えてしまったのである。
だいたいにおいて、私は面倒臭がりである。
昔、家族から、「ナマケモノ」というあだ名をつけられたことがあるくらいである。
木にぶら下がったままじぃっと動かないナマケモノの生態が、私に酷似しているらしいのである。
「失礼な。私はさすがにフンを垂れ流したりはしない。そのときはちゃんとトイレに行くぞ」そのとき私は必死にそう反論したのだが、残念ながら家族には届いていないようであった。
しかし、改めて考えてみると、「ナマケモノ」とはひどいネーミングである。
ナマケモノは、別に決して怠けているわけではない。
消費カロリーを最小限に抑えるために、「動かない」という道を選択しただけのことである。
生きていく知恵として「不動」を手に入れたのだ。
それを、動かないというだけで怠けているというレッテルを貼られて、名前までナマケモノと勝手に付けられて、しかも反論すら許されないとは、かわいそうでならない。
別に決して怠けているわけではないのだ。
たまに怠けるけれど、たまにだぞ。
ずっと怠けていたい気持ちはあるけど、ずっと怠けてはいられないことぐらい分かっているのだぞ。
うわーん。
とまれ、私はそれくらい面倒臭がりなのである。
「世界面倒臭がり選手権」の大会があれば、上位に食い込むであろうほどの実力はあると自負している。
面倒臭がって大会の会場にさえ行かないであろうほどである。
是非開催していただきたいものである。
それにしても、パソコンのセッティングどうしようかなあ。
面倒臭いなあ。
Operaたん受難
昨日、私のメインブラウザであるOperaたんが、また調子を崩した。
よりによって、gooogleやwikipediaなど、けっこう使うサイトが開けなくなったのだ。
他のブラウザでは普通に開く。
となると、明らかにOperaたんの不調である。
cookieを削除したり、再起動かけたり、プロキシ使ったりといろいろ試してみるが、なにをしてもダメ。
古いバージョンを使っていたのが原因かと、Operaのサイトから最新版をダウンロードする。
そしてインストールし直して起ち上げてみると、見たこともないデザインのブラウザが出てきた。
びっくりして確かめる。
Operaであることは間違いない。
が、バージョンが違っていた。
ver.17をダウンロードしたつもりが、ver.20だったのだ。
待て待て。
ver.17が出たのが去年の夏だぞ。
どれだけ更新が早いのだ。
調べてみると、なんとver.20は、昨日発表されたばかりのバージョンだった。
私は、そんなこととはつゆ知らず、その発表されたばかりの最新版をダウンロードしていたのだ。
なんという奇遇。
これぞ運命というべきか。
しかしさすが発表されたばかりの最新版である。
使い方がさっぱり分からない。
ネットで調べようにも、なにしろ発表されたばかりであるから、情報が全然ない。
首を捻りながら設定し、googleを開いてみる。
開かない。
……。
なんなんだ。
てめえ、この野郎、ふざけんなよ。
悪態を吐きながら、もう一度調べ直す。
すると、とあるサイトで、「ローカルエリア接続」にある「TCP/IP v6」が邪魔をしている場合があるのでそれを外せばよい、という記事を発見。
恐る恐る指示の通りにやってみる。
と、当たり前に繋がった。
googleもwikipediaも、なにごともなかったかのように出てくる。
嬉しいが、ちょっと納得いかない。
これだけ手間ひまをかけたんだから、開くときに、「へへ、お手数おかけしてすいやせん」ぐらいの申し訳ない感じがあってもいいのではないか。
それに「TCP/IP」が原因なら、Operaは関係ないではないか。
なんなんだ。
知らずにver.20にアップデートしてしまった俺の手間を返せ。
憤慨したが、なにはともあれ、Operaたんが原因でなくてよかったと胸を撫で下ろした。
とりあえずせっかく入れたんだし、ver.20をつかってみようかと思う、ミーハーな私である。(それはミーハーというのか?)
俺氏、掃除機を買う
掃除機を買い換えたのである。
いつだったか、コードは勝手に巻き取られるし、タイヤがいかれて本体がついてこないし、ノズルはすぐ抜けるし、電源部が割れるしでボロボロになった掃除機を買い換えたいという記事を書いたが、それをようやく果たしたのだ。
調べてみると、その記事を書いたのは昨年の四月だった。
およそ一年前である。
時の流れの速さには愕然とするが、それ以上に、あれから一年も掃除機を買い換えずにいられたことに驚く。
何故一年も使っていたのかと言えば、それはひとえに私の「ええ加減さ」のせいである。
掃除機を使っているあいだは、「ああ、もう、くそっ使いづらいな。絶対買い換えてやる」と思っているのだが、使い終わった途端そのことを忘れてしまうのだ。
ええ加減というより、馬鹿なのかも知れない。
そしてまた使ったときに、「ああ、もう、買い換えてえ! つか、こないだも同じことを思ってたはずだった!」と気付くのである。
それを一年ものあいだ繰り返していたのだ。
ううむ。
我ながら、己れの馬鹿さ加減が恐ろしい。
とまれ、このままでは一生掃除機を買い換えられないと悟った私は、一計を案じた。
簡単なことである。
使い終わった途端買い換えるのを忘れてしまうのなら、使っている途中、覚えているときに注文すればよいのだ。
かくて私はある日、掃除機をかけながらネットを起ち上げ、掃除機を検索して、検討に検討を重ねた末、ようやく注文するに至った。
長く辛い、そしてうるさい戦いであった。(掃除機かけながらの検討だったのだ。電源切ってから検討しなさいよというツッコミは甘んじて受け入れる)
そしてとうとう、新しい掃除機がやってきた。
早速使ってみる。
いい。
コードが勝手に巻き取られない。(当たり前である)
本体がついてくる。(当たり前である)
ノズルが抜けない。(当たり前である)
電源部が割れていない。(当たり前である)(なんか書いてて涙出てきた)
それになにより、作動音がとても静かで、本体もかなり軽い。
感動である。
掃除機って、こんなに進化していたのかとびっくりする。
さらに、吸い込み口にライトがついていて、床面を照らしてくれる機能まで付いているのである!。
暗い場所でもこれでバッチリさ!
快適に、効率よくゴミを吸い取るぜ!
楽しすぎておかしなテンションになる……のもつかの間、部屋の隅の暗い場所にけっこうホコリが溜まっているのを発見して、「こんな汚部屋で暮らしていたのか……。いっそ見たくなかった……」とヘコむ。
難儀な性格である。
とにかく、新しい掃除機がきたのである。
とてもよい。
これなら毎日使うかも知れない。
うん。
言い過ぎた。
でもそれぐらい快適だって言いたいだけなんだから、いいじゃないか!(何故か逆ギレ)
iPod哀歌
長年愛用していたiPod classicが突然動かなくなった。
PCに繋いだところ、認識はされるのだが同期がされず、復元しようとしても途中でフリーズする。
寿命なのだろうか。
もうダメか。
暑い日も寒い日も、嬉しいときも悲しいときも、いつも一緒だったiPod。
車にも、風呂にも、トイレにまで持っていってたiPod。
そのiPodとも、もうお別れなのか。
でもまあ、最近は充電も保たなくなってきてたし、音質も悪いし、傷だらけになってきたし、近々生産も終了するらしいし、買い換えどきだったのかもな。
次はなににしようかな。
SONYのWALKMANが評判良さそうだから、そっちに乗り換えようかな。
浮気性な私は、早速気もそぞろに新しい機種の検討を始めながら、一方で未練たらしくiPodをごそごそいじっていた。
するとなんの拍子か、突然iPodが直った。
あれ? うん。ああ、そう。
そうか。よかった。そうなんだ。
うんうん。よかったな。
これでよかったんだ。
そうだよな……。
ぬあああ。